強い女とは

 

弱い女、何も出来ない人間だと思わせたら負けだ。

 

自分を下に見るような人間とは、付き合っていても辛いことばかりだろうなあとぼんやり思う。友人関係の断捨離、ではないけれど、好意を持たれていないのに友人をやるのは少し疲れるなあと知ってしまった。

大方わたしの思い込みだろうけれど、丁度いいタイミングでわたしのような人のことを蔑むような発言をする人に対して、少し苦手だと感じでしまう。「一般的な話であって、あなた個人を批判してるわけではない」と言われそうなものだけれど、そういう思想を持っているということには変わりがないし、それを直しなさいなんて思わないけれど。すこし悲しいし、生きにくいなあと思う。

 

自分の存在が世界の中心のように言える人たちのことを、羨ましく思う。常に弱者とか、恵まれない人とかのことを考えて、自分がこんな状況でもしょうがないよなあと飲み込む。

でもそれって弱者から放たれる「かわいそう」という侮蔑的な雰囲気を感じ取っているからなのではないか?と思うと、自分が如何に浅はかでどうしようもない人間なのかがわかる。

弱く見られたくないのに、私だってまわりを弱いものだと見做している。それならいっそのこと自分のことしか見えてない人の方が、よっぽど立派に生きているんだ。

 

彼氏がいたら、結婚したら、子供ができたら。

果てなくゴールが設置されていて、ゴールを通過しても、またゴールが設置される。途中で立ち止まったり、違う方向へ歩こうものなら「なんで?」と純粋そうな凶器を向けられる。

きっと私も無意識のうちに他人に向けているんだろうと思うから、まるっきり全て世を憂うことができるわけでもないけれど。

 

結局わたしは普通の幸せが欲しかったりする。

一緒に暮らして、一緒に育んで、一緒に老いるみたいな、典型的な幸せ。

でもこれはきっと母や親戚が順当に普通な形の幸せを得ていたからであって、周りにちょっと変わった形の幸せを得ている人が居れば、今の幸せだって、何も不満なく享受できているんだろうと思う。

不満というとちょっと言葉が暴力的だな。自分の座標がわからなくなる、という表現が丁度いいかもしれない。遭難してしまったときと同じような気持ちだと思う。

女性は人と同じを好むと言うけれど、まさにそうなんだろうな。性別で区別するのは、と思うけれど、当てはまると思ってしまうから一概に批判はできない。「占いが当たった」と錯覚するくらいの気の持ちようなんですけどね。

 

自分の場所を、自分で信じられるように生きていきたい。

遅ればせながら、2023年の目標ということにします。