いつか死ぬ

急いで、やり残したこと、やってなかったこと、やり忘れていたこと、やりたかったこと、やってみたことをやらないと。

最近の私は何となく焦っている。

実際にタスクが重なっているというのもそうだし、年齢的に、先が短いような気がしている。

数年前に何気なく発した「30には死んでると思う」という言葉が本当ならば、残り1/6を惜しまず使い切らなくてはならない。本当に30に死ぬわけでもないし、余命宣告されたわけでもない。でも割とこういう何気ない言葉こそ本当になってしまう気がする。

 

中高のころから研究者を養いたいと話していたらしく(あまり覚えがないのだけど中学の友人が言っていたから中高あたりに発生した思想であると思われる)、ついこの間、それが叶ってしまったことに驚きを隠せない。

勉強しても1番行きたかった大学には届かなかったし、好きな人とは上手くいかないのが常であったし、是非とも達成したい望みがそう溢れているわけでもない。そんな中で何気なく発した望みが叶ってしまった。死ぬんだろうなと思った。

 

わたしのおじいちゃんは66歳で亡くなり、父は55歳で亡くなった。弟は44歳で亡くなるのでは?と噂になったが、その呪いが私に降り掛かる可能性だって無くはない。

死んでもわたしの財産を相続する人間がいると思うと、まあいいか、と思える部分もあるのだけれど、だからといって笑顔で首を捧げられるほど人生生き尽くしたわけでもない。

 

この歳になって、死後の世界を考えてみたりすることがあるのだけど、みんなが言う虹の橋とか、天国とか極楽浄土とか、そんなものは一切思い浮かばない。死んだ後って何も無いんじゃないか。仮に魂の行き着くところがあったとしても、宇宙空間というか、4次元というか、そんな感じの無機質でどうしようもない世界なんじゃないか。

学生の頃に憧れていた人と再会できるわけでもない。喧嘩別れしてそのままだった人と仲直りできるわけでもない。ただ漂うだけ。

 

それだったら今出来ることをしないといけないな、と思う。会いたい人に会って、楽しいことをしたい。学べることを学び尽くして、自分を深めていきたい。人に声をかけるとか、勉強をするとかは、私にとって割と腰が重いことなのだけど、結局それを得たいから、手を伸ばすことができるのかもしれない。いつか死んでも、やり尽くしたからまあいっかって思えるように。

 

そのために文章を上手く書けるようにならなきゃなって、かれこれ何年言ってるだろう。

19歳の当時よりも、少しはまともになったかな。