雑記

お盆が過ぎて少しずつ夏が去り始めているような気配がしてきました。

わたしは変わらず家にいることが多いので夏の短さとかを嘆くこともなく、うつろう四季を人伝に感じたりしています。

 

今年のお盆はお墓に参りました。昨今のウイルス騒ぎがあるのでいつもに比べて人数はグッと少なくて、お母さんと私と叔母さんと叔父さんと従兄妹のお兄ちゃんの5人しか居ませんでした。

お墓に刻まれた人の名前が一つ増えて、考えることも一つ増えたような気になっています。

 

昔は夏が好きでした。お墓参りの前日におばあちゃん家にわたしたち家族と従兄妹家族が集まって、総勢11名と2匹でお墓に参ったものです。

お墓参りは口実として、叔母さん叔父さんやおばあちゃんから貰えるお盆玉が嬉しかったり、おばあちゃんの煮た鍋いっぱいの煮しめが好きだったり、従兄妹が飼うブルドッグと添い寝するのが楽しかったり、幼い私にとって夏の一大イベントでした。

 

 

言葉を綴ると、どうしようもなく人目が気になったりして自分の芯が震えるような感覚がします。

こんなことしてる場合なのか、自分の中の何かが常にわたしを焦らせます。いつのまにかやらなきゃならないことが山のようになって、手がつけられなくなって、全て捨てなくちゃいけないような気になります。

掃除と同じかもしれない。汚さの度を過ぎるとどう頑張っても綺麗にならないような絶望感。引っ越すしかないのかなあなんて想像だけ達者で行動には全く移せなかったり。

 

自分がどうしようもなく小さな人間だと毎晩恥じて泣きながら寝ているような気がします。

苦しい。

 

わたしの隣にいる人間はわたしよりも忙しそうで、そんな中で自分だけ甘えたようなことを言うのは良くないんじゃないかと考えてしまいます。わたしが悪い。

横にいる人がもっとどうしようもない人間だったらわたしはもっと自立していた気がするのです。わたしはただの怠け者なのかもしれない。

 

 

他人の不幸話は結構受け入れられるもの(コンテンツとして面白いと扱われがち)だと思うけれど、幸せな話って凄くつまらないように思われるよなあ、と生きていて感じる。幸せな話を聞いてわたしまで嬉しくなることもあるけれど、泣いて喚いてクソじゃん!と書き殴っている人の方がその人との心理的距離を問わず言葉を投げかけられるような気がする。

同調であれ侮蔑であれ。

 

 

今のわたしは不幸とも言い難い幸福にどっぷり浸かっているからなんだか後ろめたい気がする。当事者意識としては十分苦しいのだけれど、周りから見ればだいぶ恵まれて見えるかもしれないから。

でも何事だってそうじゃんねえ。上には上がいるし下にも下がいる。