マインド

帰ってくるまでにはもっと可愛くなっていよう。帰ってくるまでには、もっと部屋をきれいにしておこう。帰ってくるまでには、もっと、もっとと考えているうちに、自分の理想がどんどん高くなって、自分ではできない位になっていて、できないことが悲しくて、その場で立ち止まって泣き続けるしかなかった。

 

どんどん冬が本番になって、貰ったダウンを下ろす季節になった。なんとなくダウンは年を越してからじゃないと着てはいけない気がしている。新年からニュースは憂鬱なものばかりで、不安定な心がより不安定になる。テレビがないから気を紛らわすことだって簡単だと思ったけれど、日々眺めているSNSでは娯楽の合間を縫って悲しいニュースが流れてくる。

海外の番号から携帯に着信が入っていた海外になんて何も用事がないと思ったけれど、もしかしたら南極にいる夫からの連絡かなと頭によぎった。折り返すのも面倒なので連絡は返さなかった。ちょっと経っておかあさんから「夫から留守電が入っていた」という旨の連絡を受けた。私の推理は合っていたみたいだった。本当は脳裏で夫に何かあったんじゃないかと考えていたけれど、そうじゃなかったみたいで安心した。

万が一、夫が観測中に亡くなったとしたら、私はどうすればいいんだろう。普通に働いている人みたいに会社を飛び出して、駆けつけるという風にはうまくいかないだろうし、仮に電車で1時間程度揺られればそこに辿り着けるとしても、物質としてきれいに遺されているのだろうか。仮に物質がない状態で亡くなったと言われても、わたしはそれを理解できるのだろうか。

戻ってくるまでに片付けようと思ったダンボールとか、戻ってくるまでに買い替えようと思ったシーツとか、全て行き場がなくなってしまうんじゃないか。1人でも生きていける想定で借りられた家だからすぐ生活に困窮するという事は無いけれど、地図がない状態で雪原を歩くようなことを私は1人でできるのだろうか。

 

本当に甘ったれた人間だと思うけれど、これまでの人生は親に守られて生きてきたし、親と不仲になってもその時々適当な人の愛を受けてなんとなくヌクヌク守られた気になっていた。実際に困るような事は何もなかったし、困ったとしてもしょうがないなぁと言って解決してくれる人がいた。多分それは私が幼かったからということもあるし、女の子だったからということもある。でも、もう充分歳を重ねてしまったし、女性という括りの方が相応しいようになってしまった。自分の2本の足で歩いて行かなければならない。

夫とは同じ方向へ歩くけれど、夫にわたしの何もかも全てを背負ってもらうわけではない。大変なときは肩を借りることもあるかもしれないけれど、私が肩を貸すときだってあると思う。

それでも結局這ってでも、自分で自分が進むべき方へ進むべきだ。

1人でも生きていけるように、自分のために、今何をすべきかを考えたい。