オンとかオフ、主にオフ

 

大学生の時にはよく飛行機に乗ってインターネットで知り合った人と会うことをしていた。

知らない人なのにわたしの一部を知っているのが、面白くて。普通に生きているのでは出会えない人に会えるのが楽しくて。振り返ってみると危ないこともしてきたのかもしれないけれど、良い印象で終わることが多かった。生きている世界が違うのに同じことを考えていたり、また、似たような世界で生きているのに考えが違ったり。知らない人と会うのは、自分の人生に刺激を与えるようで、人と会ってからは何だかエネルギーに溢れるような気になる。

 

逆に言うと、同じコミュニティの人と会うと、変に期待をしてしまって、少しの考えの違いで全くの他人のように感じられてしまって、いつも電車の中で反省会をしてしまう。きっとこんな反応を期待していただろうに、否定的なことを言ってしまったな、とか。あの話には触れない方が良かったな、とか。

仲が良い人になればなるほどそんなことはないから、そもそも人間が合わない人に対してだけそんな障害が発生するのだろう。

 

こんなわたしでも好きだと言ってくれる人は一定数いて、考え方や言葉選びについて言及して褒めてくれたりする。

大層なことは考えていないし、いつも綺麗な言葉を選べる余裕があるわけでもない。それでも、わたしの中の一部のきらめきを認めて、伝えてくれる。好きだと思うのは自由だから、心の奥で気持ちを温めるのも一つの愛情表現であるのに、わざわざ言葉にして伝えてくれる人がいる。

多分、インターネットで会う人はわざわざ伝えてくれる人たちで構成されていて(勿論冷やかしのように興味半分で会う人たちもいる)、会うたびに自分を肯定してくれて、自分の価値を見つけてくれて、自分への愛を伝えてくれる。

わたしなんかが覚えていないような、荒削りな言葉や、些細な感情の動きや、何気ない自撮りなんかを、掘り出して、見つけてくれる。

 

ずっとアイドルになりたいと思っていた。

キラキラでフリフリな衣装を着て、かわいいという言葉の具現化とでもいうような儚い存在。

でもわたしがずっと憧れていたのは、その外側ではなく、内面的なものだと感じてきた。

確かに可愛い女の子には憧れるし、顔面至上主義的な考えがわたしの中にあるのは否めない(男の顔はどうでも良いのにね)。女性のアイドルとして、今の年齢から挑戦するのは無謀だとは思うけれど、アイドルになれるんだったらなりたい。でもそういうのではない。

1人の人間として、憧れられたい。

インフルエンサーみたいに真似したくなっちゃうような身近さだったり、流行りを追いかけるようなものじゃなくて、1人の人間として、また、1つの芸術作品として、1種の文化として認められたい。

わたしにとっての「アイドルになりたい」は、そんな壮大な気持ちの意訳なのかもしれない。

 

わたしを見つけてくれた、全ての人間、人間じゃない人も、わたしがアイドルになるための応援をしてくれているんだろうと思う。

そんな大袈裟に思ってくれていなくてもいいけれど、わたしはそういう風に受け止めようと思う。

今日もありがとう。また会おうね。