息継ぎとそのあと

私は勉強が得意ではないので、勉強をし続けられる人、つまり研究者という立場の人に非常に憧れている。

 

小中学生の頃は所謂井の中の蛙で、知識を蓄えれば蓄えるほど先の景色が見えるようになった気がしていた。知識は私をどこか広い世界に連れて行ってくれると感じたし、周りの賢い人間は私が想像もつかないような世界に飛び込んでいて羨ましいとも思っていた。幼いながら、勉強のありがたみを知っていた方だと思うし、当然私もその恩恵を受けられるのだろうと思っていた。

文頭に語ったように、わたしはただのオタマジャクシだったので、成長した後にシンデレラストーリーを歩めるわけでもなく、まさに「北海道に生まれたちょっと賢い人間」という括りに収まってしまった。(もちろん勉強をしていない人間よりは選択肢にあふれた生活をしてきたんだろうと思うので後悔などはしていないけれど)

 

勉強する人が好きだ。だから、研究者という職業は非常に素晴らしい。

勉強をし続けて挫折してしまった私にとって、知識欲に純粋になれる人は言わずもがな尊敬の対象だ。

 

身近に研究者がいないので、研究者という職業の(主に金銭面についての)厳しさは、恥ずかしいことに大学生になってから知った。私も勉強をし続ける人間になりたかったけれど、ゴールもなく、報酬も大してなく、周りに融通を利かせてもらった上で真っ暗な海を泳ぎ続けるような才能は無かった。不安で潰されてしまう未来が見えた。

そう悟ってからは「研究者を養う」ということを夢にしたりした。

 

正直、こういった夢の諦め方って、自分自身が納得しないと収まりがつかないんだろうなと思う。他人からの評価が振るわなくても自分が続けたいと思うなら続けるべきだと思う。他人のせいにして潰える夢は多分一生自分を傷つけてしまうだろうから。

 

私は他人に対してそんな決定的な言葉を突きつけたくはないし、私がきっかけで人生が変わるなんて嫌だから、曖昧に笑うことしかできない。

私が相手に続けてほしい・辞めてほしいと思っていても、結局は他人なんだから。

 

ただやっぱりどんなに傷ついても頑張れる人には敵わないし、ひどく憧れる。応援したいし、わたしはずっと信じてたよ!って一緒に笑いたい。他人任せな考えもどうなんだと思うけれど、私は私の人生においてそういうスタンスが一番相応しいと思う。

好きなことを続けられる世界がいいな。好きなことを応援できる世界がいいな。みんなが外的要因で揺さぶられることなく幸せな選択をできるといいね。