価値

 

ずっとベッドに横になっていると、自分の形に汗染みが出来てしまっているんじゃないかとゾッとする。活動をせずほぼ24時間居座る布団の汚さを感じながら、そんなものにも包まりたくなる自分の弱りを感じる。

あまり気が落ち込んでいる時に文章を残すべきではない気がする。人が読んでも不快になるだけじゃないか。それでも何か生産的なことをしなければと思って、薄い板をぽちぽちと触って文字の羅列を生み出している。文章を綴ったからといって生産性が高まるわけではない。

 

何不自由なく、恵まれた状態で生きているというのに、こうも鬱々しく暮らせる自分は何なのだろう。

自律神経が乱れているからか、薬を飲まないと微熱が出るし、何もないのに人前で泣いてしまう。明らかに自分が壊れているのに、どうしても怠けなんじゃないかと疑ってしまう。

 

やっと会社に足が向いて久々に上司と顔を合わせると、少し安堵したような表情を向けられた。私のせいで上司の仕事が1つ増えてしまっていると考えると、少し心苦しい。それでも上司は「病気だから仕方ないよ、自分を責めないで」と優しい言葉をかけてくれる。今まで私が電話にすら出られずせめてもの文字で伝えられていた言葉が、こうして肉声を通して伝わるとこんなにも優しいニュアンスを孕むのかと少しびっくりした。建前じゃなくて、本当にそう思ってくれているのかと思うと、どうしても涙が止められなかった。

 

直属の上司と、部長と、その上とも話すことになった。そこまで大々的に私のことを考えてくれているのかと思うと、感謝よりも申し訳なさの方が強く感じる。今まで何度も言っているかもしれないが、入社して数年経った力のある社員であればここまで時間を割く意味もわかる。ただ、私はまだ入社して半年と少ししか経っていない、無能な人材だ。そこまで私に投資する意味はあるのだろうか。自分でも自分に期待できないのに、他人がなぜ私に期待できるのだろうか。私に良いところが1つもないとは思わないけれど、良いところよりも悪いところの方が多いんじゃないかと考えるのは普通だ。

 

周りの人間はもっと趣味に励んで、自分のことを無駄に考えすぎないほうがいいと言うけれど、私は今までの少なくとも8年間はひたすらに壁打ちを続けるような日々だった。自分の悪い癖でもあるし、性質でもあると思う。

自分が考えることをやめたら自分じゃなくなってしまうのではないか。自分が考えることをやめたら自分の芸術的な側面が失われるのではないか。他人が聞いたら馬鹿げていると一笑するのかもしれないけれど、私にとっては酷くシリアスな問題でみんなが言うほど笑えない。