その時期には自分も生まれ変わって、今のほのかに後ろめたい人生とは縁を切っているんだろうと、無理やり希望に縋っていた。
不幸じゃないけど、幸福でもないみたいな。お腹が空いたけど、食べたくないみたいな。どうしようもない不満じみた何かを抱えて生きている。そういう性格。他人にどれだけ「考えるだけ無駄」と諭されても、自分は自分なのだから良い加減で切り替えることなんかできない。
この間、ギリギリ営業時間外になった役所に駆け込んで、2人で新しい籍を作った。
インターネットでよく見るような、大粒のダイヤの指輪とか、可愛いプリントがなされた届出とか、記念の写真とかも何もなく、必要事項が埋まっただけの書類を淡々と警備員の方に託しただけだった。
結局人生は劇的に変わりはしなかった。
新しい家族を作ったらまた仲良くなれるかなと思っていた人間は既に死んでいるし、届出を出すまでの過程において彼は非常に頼りないし、弟は無職だし、有給は残り僅かだし。
別に特別が欲しいわけじゃないのに、何処か悲しい気持ちを抱えている。
祝われないのが悲しいからなんとなく誕生日を隠してしまうのと同じで、見つからないように息を潜めている自分がいる。
「全然めでたくないよ」自分で何回も言い聞かせている。一生に一度かもしれないのに、みんなに祝ってもらおうなんていう気持ちになれない自分が嫌だ。捻くれている。でも彼もそんなに公にしているわけでもないし、こんなもんか。わたしってそんなもんだな。
名字が変わった自覚なんてないのに、自分が自分じゃなくなってしまった。
生理が始まった、人間から女になったときみたい。自分なのに自分じゃなくて、じゃあ今までの自分は?
この前の帰り道。
雪国という呼び名に恥じないくらい、もう雪が積もっている。
中学生が3人並んで歩いてるのを向こう側に確認しながら、ついそちらに気を取られて、雪の下に隠れた氷に滑ってしまった。
中学生が「あ」と言ったような気がする。丁度転んだ人を目撃したら誰だって言ってしまう。わたしは1人で相手は3人、わたしは大人で相手は子供。情けないところを見られたからか、仕事で疲れてボロボロだったからか、本当になんだかどうしようもなく惨めになってしまって死んでしまいたくなった。
あ、自分じゃなくなっても死にたくなるんだ。
人間そう簡単に生まれ変わることなんて出来なかった。今までを思い出して悲しんだり、苦しんだりすることも無くなりはしなかった。
やっぱりわたしは何処かで世界の些細な隙間に愚痴を吐いて生きるしか出来ないと思う。綺麗なものだけで部屋を埋めるとか、陽だまりの中だけで生きていくとか、憧れもしないし、なれないなと思う。
世間一般では嬉しいことも、喜ばしくないと感じてしまうし、本当にどうしようもないくらい後ろ向きで、そのために友人に嫌な思いをさせてしまうんじゃないかと一定の距離をとってしまう。
どう頑張っても変わらない。
名字が変わる前、FINLANDSという好きなバンドのライブに1人で行った。
そこで流れた「HOW」という曲を聴いて、自分でも引くくらい泣いてしまった。ライブハウスはそんな泣くところじゃないでしょう?と思うけれど、一度泣いてしまったら暫くは止められない。
正解なんてわからないけど、偶然とか雰囲気とか、そういう曖昧なものをなんとなくでも掴んでいくのが良いんだと思った。
「わたしはわたしと居ようと思う」
なんとなく刺さった言葉をお守りのようにして、これからも生きていこうと思う。