アイの感情

自分を喜怒哀楽のなかのどれかに当てはめるなら、哀だと、常々思う。

恥ずかしながらわたしは小中高大いつだって授業に泣いた経験がある。周りに知られたかはわからないけれど、自分では他人とか構わずボロボロ涙を零していた。

授業の内容が関係することもあるし、脇道に逸れて自分のことを考えている時もある。はっきりした原因はわからないけれど、わたしの少し困った癖の1つだと思えばあまり煩わしくはない。ただ、涙で滲まないマスカラは必須だと思う。(所謂パンダになってしまうから)

 

授業中でも、電車の中でも、トイレでも、他者に対して「泣いているな」と感じたことは少ない。世の人間は本当にパーソナルなところでしか泣いたりしないのだろうか。

人間は泣くことをしないで、日々笑ったり怒ったりを行えるのだろうか。

 

あまりにも人間が泣かないので、わたしはこの涙が罪深いようにまで感じられてしまう。泣くことで人を責めてしまうような場面もあるから。

 

実際高校の時の担任は、あんな開けた職員室で毎回のように泣くわたしを疎ましく思っただろうと思う。わたしは彼を非難するため、そしてそれを周囲に知らせるために泣いたわけでもないのに。周りの人間は表面だけさらって、実際の部分を少しも考えていない。目に見えたことが真実だと思っているみたいだった。

 

ちょっと気持ち悪いかもしれない話をする。

恋人との行為の後に、堪えきれなくなって泣いてしまうことが数回あった。その度に恋人はすごく困った顔をして「何かやってしまったのではないか」と自分を責めている風だった。わたしは一切そんなことを思っていないのに。

何を考えてたかというと、(実際考えるような気力も思考力も持ち合わせていないのだけど)漠然と、未来のこと。数年後の私たちはどんな風だろう。この暖かさを手放す時があるのかもしれない。寧ろわたしの思考が混線しているせいで手放されるのかもしれない。

でも不安とは違った感情で、何かが溢れて溶けていくような気持ちで、飽きるまで涙を流していた。

 

泣いたら決まって頭がボーッとする。エネルギー切れかと考えている。今まで考えていたことがどうでも良くなって、今日の色々を忘れてしまう。

逃避なのかもしれない。でもここまで真面目に生きてきて、今止まってしまったことは、何か理由があるのかもしれない。

小さい頃と違って、私たちは大きな声で泣き喚いても誰も救ってはくれない。