遠くの花火

 

流れる景色が夕日を塞いで、瞬きをするみたいに視界が明暗する。大きな鉄の塊に揺られながら、これから毎日同じような景色を見る。

 

高校生の頃から使っていた路線で、何も変わりはないはずだけれど、あんなに教科書が詰められていたリュックはもうないし、スカートだって上品に脚を隠してしまうくらいには落ち着いたものだ。片道20kmほどの世界で毎日を繰り返す。近い将来、会社の都合上その安全圏から嫌でも追放されるのだろうけど、まだ2年ほどは守られて生きていく。

 

こんな女はツマラナイなと思っていた典型にピッタリ当てはまろうとしている。そこに嫌悪感すら感じなくなっていく。夢だった場所へは一生行けないような気がしている。夢のままの方が綺麗だから。自分は人とは違うんだと、ただ自らの青さを武器に駆け抜けたあの頃に比べて、わたしは十分に色褪せてしまったし体力も無くなってしまった。自分の可能性がよくわからなくなっている。

それでも「どこかへ行きたい」とか「何かになりたい」という気持ちは鍋の底にへばりついて取れない焦げの様に居座っている。縁もゆかりもない外国語の勉強をチマチマ続けたり、大学で得た知識を会社で活かせるように知識を蓄えたり。何になれるのか、わからないのに頭を動かしている。思考するのをやめてしまえば死んでしまうと思っている。同じ電車に揺られているうちの何人が明日を見失っているんだろう。吊り革に掴まって揺れに身を委ねてしまうのは楽だけれど、敢えて何にも頼らず自立してみる。

 

人と比べて「マシだ」と思い始める自分は全然マシじゃない。下を見て安心したところで自分が向上するわけではない。

仕事の延長線上でも、趣味でも、自分のしたいことにもっと過敏になって生きたい。25年生きてやっと人生の短さを痛感する。「このままじゃあっという間にお婆さんになってしまう」というのは、程々に生きればどういった将来が待ち受けているかを推測できてしまうから。わたしはわたしをもっと驚かせながら生きていかないと、ひと月が、1年がもっと短いものになってしまう。

 

 

仕事の目標は置いておいて、自分の趣味の目標として、引き続き綺麗な文章を編み上げることを掲げたい。

この文章がわたしの全てだ、と思える言葉を遺して全てに片をつけたい。かれこれ5年以上はそう思っているのだけれど、まだまだ辿り着けないので、引き続き模索しようと思う。

飽きっぽいわたしだから、続けることが1番難しい。