生きていてもあまり良いことがないな。良いことがあっても次はきっと悪いことが起こる、そういうマイナスな発言を肉声で聴いたのは初めて(或いは遥か久し振り)だったので共感する前に涙が出てしまった。

 

会ったこともない私のことをあまりよく思っていないあの子の顔が特殊なフィルターを通してだけ魅力的に見えることを知って安堵して吐いた息。

 

嫌いな女が何かのお祝いにルイヴィトンの鞄を恐らく両親から贈られていて、本当にどうしようもない蓮っ葉だな、と心の奥で悪口を言ってしまう自分の胸のドス黒さ。

 

自分より冴えなくて幸薄そうなモブ顔の人間に「私の方がマシな顔だわ」と言われたことを思い出しながら鏡を小一時間見つめてしまう無為な時間。

 

自分はある程度秀でた人間だと思った瞬間に重圧に耐えられなくて一切の連絡もうまくいかなくなってしまって信用も何もかも失ってしまったときの喉の詰まり。

 

上手く人との縁を切る自信が、22年生きてきてもなお無い。そこまで強固な絆を編み込んできたわけでは無いけれど、「じゃあね、バイバイ」と区切りをつけるのが自分では難しい。

なんとなく属するものが変わって、共通するものがなくなって、会話が噛み合わなくなって、態々話しかける風でもなくなって、そんな中でいつのまにか、古びたロープがぷちりと切れてしまうみたいに縁が切れてしまう。

自分のボロが出る前に紐を弱らせて弱らせて、勝手に透明人間になった気分になって、息をひそめる。勝手に一人で隠れん坊をしてしまう。

 

街中で久しい友人に自分から声をかけられる人間はどのくらい経験値を積んだのだろうか。赤の他人に話しかける方がよっぽど楽な気がする。

数年前の自分と今の自分はきっと全然別物で、そのことに対して違和感を感じて気持ち悪く感じられるのが嫌なのかもしれない。

 

結局親とも20年経たずして紐が切れてしまった気がする。

きっとミシン糸みたいなか弱い細い糸でぐるぐると固定されているのだろうとは思うけれど、前ほど全てを開示できるような気力も体力もなくなってしまったような気がする。

 

一人で生きていきたいと思いつつ、一人で生きていくなんて無理なんだ。

 

今現在男と過ごすことが多い日々だけれど、その男とも何年続くだろうかと思う。上手くいって20年。そのあとは今の親に対するような反応をしてしまうのだろうか。

 

そうなる前に死んでしまいたいし、こんな私の葬式で泣く人間なんて居ないんだろうなと思うと易々死んでしまうのは悔しい気もする。