冷たい足先

昨日久しぶりに先生と電話越しに具体的に面接でどんなことを話すかとかの作戦会議をした。わたしが就活で疲弊したのは、第三者がわたしの思い以上にシビアに就活を捉えていることだった。わたしはもっと緩く生きていたかった。

多分もがいてもがいて辿り着いた果てにはもう少しマシな世界が待っているのだろうとはおもうけれど、今が辛くてどうしようもない。

就活で1番辛いことは、自分を偽ることだと思った。

 

わたしは賢くないので自分の精神安定を第一に考えてしまう。人を極力騙したくはないし、自分の意に反する言葉を並べるのも発するのも、自分を蝕んでしまう。

また去年みたく自分がボロボロになって寝るだけしか出来なくなったらどうしよう。そんな不安を抱えている。

他人はきっとわたしの過去をどうせ覚えていない。その時は迷惑がったとしても、「どうせできるでしょう」という目でわたしをみてくる。

出来なくはないけれど、死ぬかもしれないなあ。シリアスな部分は自分にしかわからない。

 

何事も「変換」が大事なんだとは、わかっているつもり。

でも変換をするためには物事を多角的に捉えることが大事だし、言葉の知識も十分すぎるほどにあることが条件だとおもう。言い換えることはそんなに容易ではない。

 

 

なんとか生きているけれど、明日も生きている保証はないなと感じる。

世界はウイルスに蝕まれて崩壊しそうな勢いだし、わたし自身も患うかもしれない。また、そんなウイルス関係なしに道路で轢かれてしまうかもしれないし、思い立って首を吊ってしまうかもしれない。

そう考えたらシリアスに考えすぎる方が負けだな、という気にさえなってくる。負けって、何に負けるの?という話だけれど。

 

 

なんか人生を振り返るとわたしがあっさり就活をしているのが少し滑稽なことのように思えてしまう。アイドルにだってなりたかったし、放射線技師にもなりたかった。院に進学だって夢見ていたのに、結局は敷かれたレールをそのまま沿う人生?単調でつまらなくなってしまった人生が1番嫌だから、引き返せなくなってしまっていたら死ぬしかないのかなって気持ちにさえなってしまう。

 

美味しいケーキを食べたい。他人がわたしのために作った料理をお腹いっぱい食べたい。暖かいお風呂に首まで漬かりたい。明日のことに怯えずに暖かいお布団に入りたい。

最近はそんなことしか望めなくて、大人になってしまった気持ちになる。