悪しきチート

わたしのためを思って言ってるのだろうけれど、全くそうは聴こえていなくて、ただその形の自分なりの対処法を話して自分の知識をひけらかしたいだけなんじゃないか。酷い人間だなあと思うけれど、そんなことを悶々考えながら横に座っていた。

 

わたしの心は今すごく弱っていて、自分でも制御しきれないくらい。良いことも悪いことも、全てが過剰な刺激になって襲ってくる。そんななかを踠いて、踠いた先にまた新たな刺激が襲ってくる。途切れなく。鋭く。

「そうなんだ、貴方はそういう考え方をするんだね。わたしとは違うなあ」なんて今までみたいに素直に受け止められなくて、「じゃあわたしが悪いんだ」と呟く。実際どうなのかはわからないけれど、自分が悪いということで考えるのを辞めた。そうしたら、自分の中に溜め込んでいた悪いものが自分の中を支配してしまった。

 

何か自慢げにわたしを説教する人間がいるけれど、あれは何かの悪意なんじゃないか。

わたしはそのことを聞いても少しもありがたく思わないし、寧ろそういう状況で「こう思うしかないだろう」って固定観念を抱かれるのも嫌。我が儘かもしれないけれど、本当に、嫌な気分になる。

自分の気分が悪い時の宗教勧誘に抱くそれに似ている。わたしは貴方の考えでは救われないんです。そもそも感じ方が違うから。

蓋を閉じてしまえば簡単なんだろうけれど、わたしは変に優しいから、変に話に付き合ってより一層疲弊してしまう。この世はストレスが蔓延している。

 

 

人からの心配を感じると、酷いことだとは思うけれど少しホッとする。わたしはまだ存在していたのかという気分になる。何も言ってくれないよりは言われたほうがマシなのかな、よくわからないけれど。

 

 

最近の文章は寝る直前、つまり睡眠導入剤をたっぷり飲んだ後に書いています。文字があっちにいったりこっちにいったり。稚拙で非常に読み難いかと思います。申し訳ないです。

何もない中でも捻り出して今の気持ちを書くことで、わたしはわたしを理解できるんじゃないかと思っています。フィルターを通してコーヒーが淹れられるように、わたしの純度の高い部分はある程度精製されて初めてわかるものじゃないかなと。わからないけれど。

結局自分を励ますのは自分の言葉で。自分の言葉は自分の気持ちから精製されるもので。だから、それ以外なにかチート的なものを使っても虚無でしかないんじゃないでしょうか。ありがた迷惑という言葉は、攻撃的であまり好きではないけれど。