自らを信じる

自分のことは自分が一番正しく評価出来ると知っている。

可愛いかブスかで言ったら可愛いの方に入るだろうけれど、みんなが羨むような美人ではないこと。真面目だと言われるけれど、本当は怠慢でただただプライドが高いだけなこと。品良く見えると言われるけれど、育ちがあまりいい方じゃないから見様見真似でそれらしく誤魔化していること。文章を書くのは好きだけれど、文章を作るのは下手なこと。彼氏が欲しいと言いながら、本当は誰も愛せる自信がないこと。

 

三者から見当違いなことを言われるたびに、確実に心は痩せて傷付いてボロボロ崩れかけている。

 

「ゆいちゃんは(実際大した人間でもないのに)何故そんなに自信があるの?」と煽られたことがある。私を攻撃しようとして言ったのだろうけど、私の表面だけ見て安易にそう言える浅はかさに閉口してしまった。

 

自信は自分で無理やり添加するものだと思う。だって「自らを信じる」で自信だよ。実績がないと自信を持っちゃいけないなんてそんなことないでしょう。

裏付けるものがあっての自信は、そりゃ強いと思う。他人になんて言われてもあなたに出来ないことが私には出来るので、と胸を張れる。だけれど生きていく中で裏付けがあることなんてそうそう無いと思う。裏付けされた自信で守られきっている状況は、結局世界を押し広げられないと思う。

 

最近の私が世界の拡張を謳っているのは、言葉にしないと私が消えてしまいそうだから。

夢は言葉にしなきゃ実現しない、なんて誰かが言っていたけれど、私はそうは思わない。安易に言葉にしたら他者の心無い発言で壊されてしまうこともあるから。だけど、夢を実現させるための手段は言葉にしないと力が弱まってしまう気がする。女子小学生が「この人が好きなの!」と宣言することで自分の気持ちを恋だと思い込むような子供騙しだけれど。夢の前では人間はみな子供だし、子供騙しでも良いんじゃないかと勝手に思っています。

 

自信をつけるために虚勢をはる。

だから私は自分のことを可愛いと思うし、真面目で直向きだと思うし、品はあるし、文章を書くのが好きだし上手いし、自己表現が人より得意だし、賢いから、将来は研究者と結婚して養って支えまくって彼がノーベル賞でも取った時に泣きながら感謝されてしまう!

身分相応に生きるのはくだらない人生を歩みたい人がすればいいんじゃないですかね。取り敢えず私は面白いことをやりたいので、一抜けぴっぴ。