2回目の10月

10月という季節が再びやってきてしまった。

昨年の私はというと、卒業論文に一切手を付けておらず(中間発表等も卒業要件のひとつだったはずなので)実感はしていないものの留年という事実が差し迫っていた。最悪なことに半期休学するなどの措置をとる余裕さえなかったので、ゼミ以外の零した必修単位を少し摘み取るくらいのことしかやらなかった。当時の同期が着々と卒業に向かっていくのを見るのも嫌だったので、ゼミは取らなかった。

私のゼミは単位があったので、ゼミを取らなかったということは卒業するつもりがないという表明でもあった。

 

さて今年はというと、後期のゼミの単位以外はすべて取り終え、春からの就職先も獲得し、卒論を途中まで進めている(絶望的な進み具合ではないと思いたい)。去年と比べると大変頑張っているし、もうひと踏ん張りといったところである。

一番の懸念が卒論なのだけど、進捗は半分もいっていないくらい。残りの期間が3ヶ月…と考えると非常に危ういかもしれない。ブログなんか書いてる暇なくない!?と吃驚する。大丈夫なのかな。足りない部分は有り余る才能でカバーしていきたい。

 

恐らく卒論のプレッシャーが自分が思うよりも重くて、少しずつ精神が死にかけているような感じがする。夜寝るのが少し難しくて、鼓動が少しずつ早くなっているような、息苦しさを感じる。これでまた今年もダメでしたなんて言えないし、頑張るしかない。自分を支える謎の自信が少しずつ溶かされていく。文字を延々と書くのは苦手じゃないし、わたしならできるでしょう。暗示のように言い聞かせるしかない。作業自体は苦痛じゃないのに、迫りくる期限が恐ろしくて仕方ない。

 

年末とか、年度末とか、迫りくるものが昔から苦手だったから、卒論の提出期限に震えるのも仕方がない。私の24年間の甘えた生活にも終わりが来るのだ。大学生活は人生の夏休みというけれど、夏休みに終わりが来るならずっとキリキリ働いていたかったなという気さえしてくる。休みがあるから、終わりまでの期間が長いから、人は怠惰になるし終わりを恐れるのだろう。

働きたくないわけじゃないけど、今までが終わってしまうのが怖い。

 

さいころ見た映画か何かで「ずっと子供のままがいい」と言う人物がいたけれど、今になって気持ちが痛いほどわかる。今までは成長を伴ってきたけれど、これからは老いを背負っていくだけなんだと、自分の限界みたいなものをじわじわ感じる。やわらかい希死念慮

 

立派な大人にならなきゃいけない。