プレゼントと気持ち

 

この間友人から卒論中間発表お疲れ様でした!ということでずっとほしかったLAMY2000の4色ボールペンを頂いた。私は文房具が好きなので、異様に高い外国製の筆記具にこだわっている。たくさんありすぎても使えないので、数はそう多くはないけれど、筆箱に入れられる分だけだからこそ吟味している。LAMY2000のラインは文房具好きなら1度は憧れるような、ミーハーなものだとは思うけれど、やっぱり見た目が美しいので気に入ってしまう。
海外の文具に触れると、標準のインクの質の悪さに驚愕する。あれは(日本と気候が異なる)海外では使いやすいインクなのだろうか?それとも日本人が異様にインクにこだわりを持っているのだろうか?海外の文房具はガワだけに期待しているので、中身(インク)は即座に日本製のものとすり替えられる。インクの出にこだわる国に生まれてよかったと思う。

 

そんなことでプレゼントに大喜びした私なのだけど、実際、私が大喜びするようなプレゼントが贈られることは非常に稀有だ。

こだわりがあるというか、期待をしすぎてしまう性なのでしょう。私のことが大好きなら、当然私が欲しいものをくれるに違いない!と。そこで外れた時には「わたしはこの人にこの程度しか思われていないのか…」と悲しくなる。

非常に昔の、今はもう時効な話なのだけど、小学生の時に頻繁に放課後遊ぶような仲だった友達から漫画雑誌(確かあれはりぼんだった)の付録のペンケースを貰ったことがある。お姉ちゃんがりぼんを買っていたので「先月号についてたやつだ…」と察してしまった。当時すでに雑誌の付録は要らない(なぜならゴミになるから)という思考に落ち着いていたので、そんな不用品を私に押し付けたのか…と悲しくなってしまった。感情を表現するのが苦手な子供だったので、そのことを家族に知られたくなくて、私しか使わない、教科書を入れていた引き出しに押し込んで隠した。

その子とは今も年に1回程度会う関係なので、多分嫌われていたとかではないと思う。今思えば彼女にとってのそれと私にとってのそれの価値観は違ったのかもしれない。

 

そんな感じで、年を重ねた今も、相手にとっては非常によく考えた品だったのに、私はそれを手抜きだとかわかってないと思ってしまうのだろうなと思う。もらえるだけありがたいのだから文句言うなよという話なのだけど。でも自分にとって大切な人間だから期待してしまうのだろうし、うーん。