誠実な人しか生きられないの

最近自分の周りで浮気の話をよく耳にするようになった気がする。年齢的なものなのか、わたしの友人の民度の問題なのかはわからないけれど、10代の頃には確実に耳に入ることがない話題で、自分の年齢を生々しく実感する。

 

わたし自身浮気について全否定はしていない。そういった状況が重なってしまうのもわからなくはないし、相手(パートナー、もしくは行為をした相手、またそのパートナー)を傷付けるようなことをしなければいいと思う。上手くやるならいいんだろうし、パートナーが割り切っているのならそれもいいのだろう。基本他人のことだしどうでもいいと思っている。

ただどういう状況下でそういった行為に至ったのか、どのような心持ちで行為の相手を思っているのかは非常に大事なポイントだと思う。

遊びと割り切ってるなら良いのかもしれないけれど、変に感情移入して束縛するだとかの方向に走ってしまったら、それは破滅の道なのではないかと。

 

 

あんまり他人の生々しい話に口を突っ込むのも不躾な行為だとは思うのだけど、パートナーがいるにも関わらず男遊びが激しかった友人が子供が出来ないと嘆いているのを見て、素直に励ませない自分がいる。

わたし自身正常な子宮環境ではないので「将来子供をもてなかったりする可能性もあるのだろうなあ」と悲しい気持ちになる。子供が欲しいか欲しくないかを抜きにしても、機能が劣っているというのは非常にこころにくる問題だと思う。だから、友人の嘆きは非常によくわかる気でいる。(実際試みたこともないので、半分は想像の賜物なのだろうけど)

「でもこの子はいろんな人に手を出していたよね?遊ぶだけ遊んでいたのに嘆いちゃうんだ」と自分の黒い部分が囁く。昔からずっと誠実に向き合っていて、ただどうしようもなかったのなら悲しいねかわいそうだねと思えるけれど。極論犯罪者が子供を産むな!というような思想なのであまり良くないなと思う。その子に言うつもりは一切ないし、これからもわざわざ傷付けるような態度は取らないんだと思う。(その子がこのブログを見ていたら私の考えた行動は破綻しているのだけど)

 

私は多分普通の人間よりも罰を感じて生きているのかもしれない。地元を出たいといいながら結局社会人最初の数年くらいは地元にいるつもり。それもなんとなくそうした方がいいと思う罪滅ぼし。償う気持ちなんかないくせに。

自分にも、他人にも、優しく生きていきたい。