ライフタイム

恥ずかしながら美術系大学に籍を置いている身でありながら、美術ときちんと向き合ったのは大学に入ってからだった。

そんな感じだったので、今まで絵を描き続けてきた、当たり前に美術と共に生活をしてきた人と比べると知識等が恐ろしく劣っている。私が勉強しても彼らも勉強しているわけで、一生追いつけないなあと絶望することもある。(ひとまず現段階では)院に行かないのだから、一般人より美術の知識を身に付ければOKなのかもしれない。

 

そんなわけで私はいける範囲の美術展には行こうと奮闘していた。東京、大阪などでは北海道より魅力的な展覧会が多く開かれているので、旅行のついでに美術展に向かうこともあった。

そんな中で私が唯一2か所で巡回展を見たのがボルタンスキーだった。

たまたま旅行の日程と被っていたのと、1回見てもまた見たいと思わせる魅力があったのだろうと思う。会場が変われば作品の見せ方も変わるだろうと思った。特に彼の作品はインスタレーションなので、その空気感を違う場所で保持するということは難しいし、新たな形で自分に何か見せてくれるだろうという期待が出来た。

私は大阪で見た雰囲気の方が好きだった。会場が半地下?地下?にあって、ひんやりして、嫌な悪寒がするような。そこが出会いの場だったからということでもある気がする。

彼の作品は自分のなかの「不快」を刺激するようなもので、ただ少し雰囲気に慣れると、同じ人間なんだなあというような気がする。タピオカを飲む女子高生なんかよりは私に近い種族だと感じる。

異国の、年が3倍程離れた、男性。カテゴライズ的には少しもかすらないけれど、彼は私の心のスキマにねじ込んでいくような作品を作っている。単純に「モネの絵が好き」とは違う、好意をわたしは持っていた。

 

7月14日。SNSを眺めていると、彼の訃報が流れ込んできた。死因が従来よくあるものだったので、少しほっとした。昨今騒がせているものが彼の息の根を止めてしまったのだとしたら、私は今この状況に酷く不満を持ってしまうだろうから。

 

著名人の死をこれほど悲しく思うことはなかった。例えば私が敬愛する作家が亡くなってしまったらどうなるのだろう。これ以上に悲しく思うのか。

自分が好きな画家、作家というのは自分の心の奥底の深い部分の傷に薬を塗ってくれている。会ったこともないのに、話したこともないのに、その恩が頭から離れなくて、私のことをわかってくれている(わかってくれる能力を持っている)と感じ、縋ってしまう。

世界からわたしの理解者(となりうる可能性のある人間)を失くしてしまったのは非常に悲しいけれど、人間は死に抗えないから、何かうまく消化していかなければならない。

 

彼を生前に知れたという点において、自分の人生を肯定していきたい。

 

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