今日までの道のり

 

先日先生と電話をして、進路のことだとか卒論の方針を話し合ったりだとかした。去年卒論を書いていればわたしともう1人の卒論を見るだけなので良かったのだけど、今年はわたし(留年生)と4人の計5名の卒論を見るというのだから、先生には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

なかなか落ち着いた会社から内々定を頂いた後に、クリエイティブな会社からも内々定を頂いて、「まぐれじゃないんだ」と非常に安堵した旨を伝えると、先生はケタケタ笑ってくれた。最初に内々定を頂いた会社が業務内容も給与も非常に良いので、内々定を貰っただけで手放しで喜べるじゃないかと先生は言う。確かにそうなのかもしれないけれど、ちょっとチートみたいな選考方法だったので私は納得いっていなかった。確かに喜ばしいけれど、自己肯定感がかなり低いので間違いなんじゃないかという気持ちの方が強かった。

「2つ目の会社から来社するよう言われたので取り敢えず顔を出すけれど、きもちの8割ほどは1つ目の会社で決めている」それに対して1つ目の会社の良さを雪崩のように語っていく。先生はお父さんみたいに受け持った学生を扱うので、非常に心配してくれているのだなという気がする。「まあそうしようと思ってるんですけど、一応(2つ目の会社に)来社してみたいと思います)」と伝えても1つ目の方が格段に良いだろうと言う。わたしもそう思うし、長いものに巻かれるタイプなので嫌な気はしなかった。

そういったお節介が許せるくらいにはわたしは先生のことが好きだ。恋愛の意味でなく、尊敬の意味でお慕いしている。いい加減な大人だなとも思うけれど、先生は少年の心を忘れずに生きている気がする。人の目を気にせずに好きなものを好きだという姿勢が好きだ。加えて先生の良いところは取捨選択が上手いところ。わたしだったら数ヶ月頭を抱えてしまうような問題も「こんなの今考えてもどうしようもないよね」と投げ捨ててしまう。頭がいいなあと思う。頭がいいからこそ凡人のわたしを置いていくような発言をするのだけれど、わたしは頭がいい人が好きだから下唇を噛みながら期待に応えようとする。それが苦しかったりもする。(去年はまさにそれだった)

 

大学入学時には「なぜ私がこの学校に行き着いたのだろう」と少し絶望した心持ちで通学することも多々あった。自分で選んだけども、合っているのか自信がなかった。

先生の授業を受け始めてからそういった後ろ向きな気持ちも薄れていった。

わたしは先生に特別好かれるような優秀な学生にはなれないだろうけれど、残された学生生活は今まで以上に学業に向き合いたいと思う。あわよくばわたしも先生みたいな大人になれるように。