失恋の仕方

 

先日なんとなく「愛がなんだ」を視聴した。ざっくり言うと、クソ男とそれにハマってしまうどうしようもない女の話だった。

 

私も10代の頃は割と恋愛に恋愛していたところがあったので他人事のようには見られなかった。思えば、好きな人にはなんでも尽くすような恋愛や、尽くされたことに対して100で返さない適当な恋愛もしてきたりした。数ヶ月の割に別れて号泣したこともあったし、胃痛が止まなかったこともあった。若いうちだったからというのもあるけれど、そこまで致命的に打ちのめされた経験はなかったと思う。悲しいは悲しいけれど、結局は時間の問題だなと客観視できる自分がいた。

 

今は自然体でいられるような相手を見つけたので、過剰に尽くしたり、過剰に尽くされたりする事なく、まるで追い焚き機能付きのお風呂に浸かっている時のように無である。自分の人生で一番長く続いている相手なので別れたらどうするんだろうと考える時もあるけれど、今まで男の人が全く寄ってこないようなことはなかったので、きっとなんとなく次の男にシフトするんだろうと思ったりする。

10代のうちに恋愛的な意味で人に執着することをやめてしまったのは、自分の精神の安寧を考えた上で非常に賢明な判断だったと思う。(やろうとしてしたわけではないので、結果論ではあるけれど)

 

周りの人を見ていると恋人と不仲だから死んでしまいたいとか、振られたから鬱になってしまったとかいう人がいるけれど、自分の生命を人に託してしまうのは非常に危険な事だなと思う。他人事だからこういうことを言えるのだろうけど。

結婚しただとか婚約していただとか、あらゆる制約の上で決められた物事が帳消しになることは、多方面に対する責任感も伴うし心にきてしまうのは非常によくわかる。けれど、そういった制約もなく自由恋愛を楽しむ上でそこまで自分を追い立ててしまうのは不健康なんじゃないかと思う。

自分が恋していた相手は自分の生命に責任を持ってくれているわけじゃないし、死んだとしても迷惑がかかるだけだと思う。敢えて黒歴史になりたいのなら非常に有用だけれど。

 

前述の映画を見て、私が納得できたのは「恋慕う相手を崇める対象にシフトさせる」という点だった。

叶わないのに好きだという気持ちを相手に浴びせ続けるのは相手にとっても酷なことで、だからこそ恋愛の道を完全に断ち切って友人の顔でそばにいる。卑怯かもしれないけれど、自分の生命を守るためには一番いい手段だと思っている。もう好きじゃないよ、という顔で好きな人改め崇める人間の横を死守する。

 

ただここで穴となるのは恋人を恋人という枠でしか認めない人だろうな。肉体的接触がないと嫌だとか、2人で宅飲みできるような関係じゃないと嫌だとか。そういう人は時間に任せるか、もっと視野を広げて恋愛が脳を占める割合を減らすしかないだろう。