大海を知らない

大きくなったらもっと立派な大人になると思っていた。

 

小学生の頃自分は比較的優等生で、両親や兄弟の仲も良好で、容姿もまあ悪くなくて、絵が描くのもうまくて、友人からも頼られて、恵まれた人間だと思っていた。私は平凡な家に生まれたので勿論小中高(ついでに大学も)公立校でヌクヌク暮らしていた。小中は特に学区の問題などもあるので、大海を知らずに自分が1番強いのだと思い込んでいた。

 

高校あたりから自分が選ばれた人間なんかじゃないのだなあと言うことを知ってしまった。勉強をすることは好きだけれど、良い点数が取れるわけでもない。自分では出来た!と思っても、もっと賢い人はもっと出来ている。何も知らないでヌクヌク生きていた時にはそういう心の空虚さとかは全く感じなかったから、井戸の中に引きこもっていた弊害だなあと感じる。

 

理想の大人像は13歳の時に作られた。

吹奏楽部に所属していたときに、自衛隊(確か第11旅団)の方に楽器を習う機会があった。その時にクラリネットパートに所属していた私含めた1年生4人を指導してくれたお兄さんが、当時自分の中で1番存在の大きな「理想の大人」だった。

吹奏楽に熱を入れていた私にとって音楽で生活できているというのはものすごく稀有で才能が必要なことだと思ったから、出会った瞬間に尊敬しかなかった。恐らくきっとそんな単純な理由だった。

 

今その人のことをよく思い出すのは、きっと当時の彼が今の私と同じ23歳だったからだと思う。23歳で、努力と才能を武器に安定した職に就いている彼と、未だ学生をして足踏みを繰り返す私。同じ年齢だと言うのに、私の方が圧倒的に経験値が足りないというか、進化しきっていないというか。どこか人生の途中で怠けてしまったんだろうなという気持ちになる。多分正確にいえば「正しい努力ができなかった」と言う方が合っているのだろうけれど。

 

大海を知ってしまってからの私は、どこか自分に諦めを持ってしまったような気がする。自分が1番自分を信じてあげられるだろうに、悲しいなあ。もっと頑張りたいのに合っているか合っていないかに過敏になってしまって、実際行動を起こすまでに時間がかかってしまう。

頑張りたいのになあ。いや精神的に頑張りすぎてはいけないのに。無知のまま生きるのは良いかもしれないし、悪いのかもしれないな。大海を知ってしまった今は、この状況で1番自分に良い選択ができるように考えていかなければならないなあ。