尸累累

気持ちだけ「頑張ります」が1番価値が無い、とトイレでふと思い立って泣いていました。

 

今日は何をしても途中で泣きそうになって、うまく生活が出来なかったと思います。特に何もしていないのに。生活のために必要な最低限、5時間程度の勤労しか成し遂げていません。週に1、2回しか働いていません。

働いてるなら精神は良いじゃないかと思われるけれど、アレは代替が効かなくて、1回躓くともう起き上がれない気がするので必死になって向かいました。ちょっと事情があります。まだ字には残せませんが、またいつかお話します。

 

今日の一大イベントは、そのバイト先で自分の可能性を閉じてしまったことです。

最近弊社の金でハワイに行ける!と盛り上がっていたのですが、そのためにはある程度ステータスを達成する必要がありました。勿論片手間で出来ることでは無く、ハワイという人参をぶら下げていなければ到底やる気にすらなっていないと思います。実際、もう少し頑張っていたら応援も頂いて届かせることも出来たのかもしれないです。絶対に無理な壁では無かったと思います。

絶対行く!何がなんでも!という気持ちがあったら、多少なりともどうにかする手段はあったと思います。ただそれをしなかったのは、その選択で上司に迷惑をかけること、何ひとつ上手く人生を歩めていないのに旅行(娯楽)に行くことに躊躇いがあったからです。

 

10月に沖縄旅行を画策し、暖かい地で、精神を癒そうと考えていました。それは少しも効果がなくて、「何も出来ていないのに沖縄に旅行するの?」という気さえ起こすものでした。

 

わたしにとって、旅行というのは娯楽ではなく逃避だったのかもしれません。

 

お酒とか煙草とか、そういったものには(身体的に受け付けないので)興味はありません。だから今回の鬱も、どのように振る舞うべきかよくわかっていません。周りの同じような人間は酒浸りになるか、オーバードーズをしている印象です。そうしたら何か救われるのでしょうか。変に冷静なので、そんなことをしたところで死ねないし救われないのだと、冷たい心を持ってしまいます。

そんな私の逃避は旅行だったのです。

1、2年前は「私の遊びは旅行である」と語っていました。お金を貯めて暇を見つけては外に飛び出て息を吸う。勉強とアルバイトの日々は潜水のような息苦しさがありました。

そんな旅行が、今は何の意味もない逃避になってしまっているのです。

 

今は何をしても苦しく、悲しく、布団を暖めながら「明日は何が出来るだろう」と空想に耽ることしか出来ないでいます。

わたしが今気分が落ち込んで死にそうになっていても、きちんとした病名は出ません。そのくらい軽度なのかもしれません。そんな弱い人間なんだと思います。多方面に迷惑をかけていて、それを謝るのさえ怖くて全て蓋をしています。

これはわたしが思い描いていた「大人」だったんでしょうか。

情けなくて、息を出来る限りゆっくり丁寧に吸うことで誰にも気付かれないようにそっと泣いていました。