流せない、

 

SNSで嘗てのの恋人が何やら成功を収めたらしいことを目にして少し肩が重くなったような気がした。

 

四捨五入して三十路に程近い年齢になり、小さくて古い生活感のあるアパートでティーパックを揺らして淹れたルイボスティーを啜る私は今まで何をしてきたのだろうか。本棚に積まれた仕事の書類とか資格の本だとか、乱雑に並べられた(下手をすると万に近い)数千円の化粧品を眺めて、自分の空虚さを改めて感じていた。

女の良くないところは、過去の男が成功した時に「昔はこんなだったし、多分こういう性格は治ってないのにね」と嫌味っぽくなってしまうところかな、とぼんやり考えた。未練は無いと断言できるくせに相手が自分より幸福に見えると文句を言いたくなってしまう。

私だって不幸なんかじゃ無いのに。

 

共通のコミュニティを通じて出会った恋人は、嫌でも友人伝いに生活が見えてしまうから困る。出会い系のアプリとかを使えばこういう煩わしさはないんだろうから、アプリも良いものなんだろうなあ。わたしは怖くてできないけれど。

昔の男のホームを少しスクロールして、なんだか気持ち悪くなってしまってすぐ消した。相手に伝わらない方法で非表示にするとか無いのかな。調べるのも面倒だから多分またいつか悶えるんだろうけど。

 

なんだかむしゃくしゃしてしまって昼だけれども酒を飲んでやろうという気になった。普段は酒なんか飲まない。美味しくないし、お金を出すほどじゃないと感じている。ある程度社会人として生活をしているので、きちんとしたバーで作られるカクテルは美味しいと思う。名誉のために。

私の小さな冷蔵庫の中には1缶だけビールが入っている。正式にいうと週末だけ会いに来る恋人のものなんだけれど、今週は出張で来ないらしいからエビスでも買い足せば怒られないだろうと踏んでいる。

申し訳程度の小さなダイニングから立ち上がると、内側から流れ出すような感覚がある。生理の時の尿漏れみたいな流血は、10年強経った今でも慣れない。この感覚が来る度に「女だなあ」と感じて嫌になる。さっきナプキンを替えたばかりだから多分大丈夫だろう、と思うけれど足は冷蔵庫ではなくトイレに向かっていた。

 

トイレの「ひと1人分」なスペースに身体を当てがうと、自然と下を向いてしまうような気がする。羽の部分に付いた血液を見て、デニムの股の部分を確かめるけれど何も染みになっていなくて安堵した。男はこんな心配をすることはないのだろうな、なんていうと悪しきフェミニストのような発言になってしまうのだろうか。

拭いても拭いても赤く染まるトイレットペーパーに嫌気がさすのを、あと30年程繰り返さなければならないのだろうか。