ヘイト・クリスマスイブ

25日が本番なのに24日にみんな熱を入れすぎているんじゃないか。25日が可哀想だ、って小さい頃から思って生きてきた。しかしながら幼少期のわたしにとっての25日は、大抵与えられたゲームカセットを姉弟と淡々こなす日であった。

 

10代も後半になってから、クリスマスイブを恋人と過ごすようになっていった。キチンと数えたら16歳の時と20歳以降かな。親からはプレゼントは貰えないし、プレゼントを貰えるという点で恋人とのクリスマスは楽しいと思う。

ただ、浮き足立っている街は好ましくない。そりゃあ楽しいけれど、クリスマスだから恋人と過ごす、クリスマスだからお祭り騒ぎをする、あまり受け入れられない文化だったかもしれない。恋人とはイベント関係なく会いたいし、なんなら新年1番初めのほうが重要だとおもう。わたしはキリスト教徒じゃない。

 

 

最近は病床日記になりつつある。床に臥すほど精神は死んでいないけれど、大体そんなもんだと言ってもいいかもしれない。

今日はクリスマスイブだから、プレゼントを買わなきゃならないと思って必死に家を出たけれど、準備中も街中でも疲れて仕方なかった。

そういうときにプレゼントを選ぼうとするのだから時間がかかって大変だった。何が欲しいのか、何を求めているのかがわからなくなる。

 

本当は今何をすべきで、そのためにどう努力をすればいいとかの道筋はわかっている。ただ、それを実行に移せないでいる。謝ればいい話なのに。電話すればいいだけの話なのに。一挙一動がくるしくて動けなくなってしまう。そのせいで謝らなきゃならないことが増えていく。

 

人が幸せそうなのを見るのが苦手だ。

わたしは(わたし基準で)頑張ってるし血反吐吐いて動いているのに、他人にとってそれは些細なことで、当たり前にできちゃうから幸せそうなのかしら。

最近のわたしは幸せを死ねない理由だと変換してしまうから、自分の幸福も薄命も良くはないものと分類できる。

 

幸福であっても、それが枷となって動けなくなってしまうのだからわたしはどうしていいのかわからない。地下鉄が来るのを待ちながら、電車が来るのを待ちながら、自分が轢かれに行く妄想をする。病院では軽い入眠剤を貰うくらいなのだから、わたしは大したことないのかもしれない。多分こんな考えをみんなもよくしているのだろう。きっと、変ではないんだ。良い意味でも、悪い意味でも。

 

一般人はクリスマスをどのような心持ちで祝っているのだろう。