距離の取り方

今の自分が嫌いかと言われるとそうでもない。やらなきゃならないことも果たせなくて、どこまでも中途半端で怠惰な人間だと思うけれど、そうでなくては人に優しく出来なかったと思うから。

 

わたしはプライドが高くて自分に厳しい。その厳しさを他人に明言したりはしないけれど、何処かで推し量って嘲笑うような人間。自分が特別優っているとは思わないけれど、底辺なんかではないと、何処かで安心している人間。

人生に躓かなければわたしは酷い人間のままで生きてきたんだろうと思う。

 

今は完全に他人に優しいというわけでもないと思うけれど。

 

 

インターネットの海に身を任せて、6年ほど経つ気がする。インターネットは歪んだ人間や、誇示する人間、あまり見ていて心地よくない人が少なくはないと感じる。その個人の全てがダメだとは思わないけれど、溜息をつくことが多くなった気がする。

具体的に誰に対してなのかは言わないけれど、いつも誰かにマウントを張っているような人間とか。良い歳してそんなこと言っているのか、と開いた口が塞がらない。自分もそうなのかもしれないなと感じて嫌な気分がたまっていく。

日常生活で感じるそういうものと同じなんだろうな。人と話して、何か違和感を感じるけれどその場で注意できるものでもなくて、頭の中でずっと反芻して結局解決に至らないみたいな。

 

インターネットは自分で話す相手を取捨選択できるから良いと思っていたけれど、画面を隔てた誰かにも人格があって生活がある。そんなことを考えていたらあまり雑に扱いたくはないなという気になる。(セクハラばかりしてくる人とか、誹謗中傷を延々し続ける人とかは雑に扱って良いと思うけれど)結果負担になっていっている。

 

結構インターネットネイティブな世代であると自分自身で感じているけれど、そんなわたしでも距離の計り方に戸惑ってしまう。インターネットだからとか、そういうのは関係ないのか?いまいちよくわからないけれど。

 

 

ソーシャルディスタンスという単語をよく耳にするようになって、人との物理的な距離が広まって安心している自分がいる。元々距離の取り方がよくわからなかった。友人で連れ立ってトイレに行く風習はいつから始まったんだろうね。

 

生きていて、当然他人と交わっているのだけれど、なんだか1人だなあと感じることが多くなった。自分の考えとか思いとかを共感してくれる人なんていないんじゃないかと、そういう気持ちになる。家族でさえ恋人でさえ、本当の意味でわたしを知らないんだろうと思う。