血と肉

自分でそんなつもりは全くなかったのだけど、人を信じすぎてしまうのが私の欠点らしい。

実父の死亡届を恋人に預けたり、インターネットを通じて仲良くなった人の家に泊まったり、さすがにお金を貸したことはないけれど、人によっては「それで大丈夫だったの!?」と心配されるようなことばかりやってきた。

わたしはわたしの人生自体にあまり興味がないのかもしれない、多少騙されても良いかなあなんて思っている。その後も延々不幸が続くなら嫌だけど、その一瞬少し不幸になるくらいなら、まあ、そんなものでしょうと思っている。

 

多分本人は一切私の文章を読んだりしていないから、これを見て気に病むことはないだろう。

数週間前に父が飼っていた爬虫類を一斉に友人に引き渡した。一匹は高校の友人。一匹は浪人時代の友人。残った二匹を恋人の友人に渡すことにした。父以外はまめに爬虫類の世話をすることは出来なかったし、可愛がってもらえるならその方が良いだろうということだった。

恋人の友人にヨツメヒルヤモリとチョウセンスズガエルをあげたのだけど、私が知らないうちにカエルを友人に譲ったみたいだった。

亡くなった父のものだとは言っていなかった気がするので私に落ち目が合ったんだろうと、ひたすらに落ち込んでいる。知人の友人は許せるけれど、知人の友人の友人までいくと、他人じゃないか、という気持ちになっている。譲ったのは許すとしても、私に無許可で他人のもとへ渡ってるなんて。

 

すごくすごく、気持ちが沈んでいる。

 

 

こういう行き場のない怒りを、みんなはどのように発散させているのだろう。私は決まって手帳やブログに書きつけて、呪いを無かったことにする。自分の外に出す作業が重要だと思っている。

人に怒ったり、人に当たったりするのは、すごくエネルギーが必要で、私にはとてもじゃないけど難しい。自分に優しく生きるのはすごく難しいことだと思う。

 

人に話してもどうにもならない気がしているから、自分の中で気持ちを腐らせてばかり。良くないなあと思っているのに、腐ったものはどうにも誤魔化すことが出来ない。文字にして、すっきりした気持ちになった風になるけれど、実際は自分の中に刻まれて、拭いても拭いても、溝の中に溜まった汚れは綺麗にならない。

 

自分が愚かだった、と思い込むことで少しはマシになるんじゃないかというような気にもなっている。どうせ誤魔化しなのに。

 

自分はいつどのように自分を許せるだろう。