夏至のはなし

ミッドソマーを見た。

ちょっと時差ができてしまったけど、それは文章化するのが難しいというよりただの怠惰。

自分の備忘録として文字を連ねているのにも関わらず(だからこそ?)面倒くさいと思ってしまう自分がいる。

 

 

見ていてすごく辛かったのは、精神的に弱り切っている主人公を恋人は冷めた目で見ていたこと。主人公は明かにどうしようもないくらい事に事が重なってボロ雑巾みたいになるのに、そのことを恋人はなにも思っていない。寧ろ、うざったいと感じてさえいた。

そこから少しずつ亀裂が入っていくのだけど、一度入ったヒビはどうしようもないみたいだった。どちらが悪いなんてごちゃ混ぜになって、ただただ泥を飲むみたいな時間が過ぎていた。

 

この映画は恋人と見てはいけないらしい。Twitterではそんな噂が流れていた。監督のアリ・アスターが言っていたみたい、「失恋映画」だと。(内容を見ると疑いたくなってしまうようなものだけど)それは一貫してパートナーの気持ちが重なることなく話が進むからだと思った。

主人公もずっと破綻しかないと気づいていたけれど、そんなことを言い出せる気力も無いほど疲弊していた。今ここで彼を失ったらわたしはどうなるんだろう?何もかも失ってしまったらどうなるのだろう?

不安に支配されて二進も三進も行かなくなっていたのだろう。最善では無いけれど、最悪では無い今をやり過ごすことで精一杯らしかった。

 

 

あまり言うとネタバレになるから良くないなと思う。

 

主人公は最終的に拠り所を他に見つけて自立するのだけど、結局それが幸せなのかはわからない。一般的にそれが幸せなのかと言う意味ではなく、わたし個人が幸せと感じるかという点で疑問に思っている。

世間一般はNOと言うだろう。やられたらやり返せというのはあまりに野蛮だ。突沸らしい感情で判断してしまうのは良くない。そんな風に思うだろう。

わたしがNOと言うのは、それが根本的な解決になっているのかがよくわからないから。

違う映画で、恋愛がダメでも仕事なら!と切り替える物語は多々ある。だけど他のものに依存したところで、すべての物事が本当に上手くいくだろうか?恋愛依存から抜け出したところで、他の何かに縋っているのでは意味がないんじゃないか?

 

本当に映画で伝えたいこととはずれているかもしれないけれど、わたしは「目の前の幸せは、些細で、閉鎖的な精神の上で成り立っている」ように感じた。

今の気持ちはそんな風だけど、見た直後はスカッとしたし、反芻すればするほど感想も移ろいでいくから映画問わず小説などの物語はすきです。