36枚撮りの鈍器

数ヶ月に1回くらいだった飛行機も、今は月に数回乗ってしまっているからなんだか感覚が麻痺している。そんなに安くはないのにな。

まあ全部が全部自分で用意したわけではないので、某企業や親にはすごく感謝をしています。飛行機に乗るのは面倒くさいけれど乗っている間は楽しいからね。効率よく作業や睡眠ができる気がする。

 

今日は初めて日帰りで東京に行くのだけど、どうせならもう少し時間を取れば良かったなあという気持ちになる。時間をとって1泊2日とかすると、それはそれで億劫になるのだけれど。

 

東京に行くたびに「フィルムカメラを持ってくれば良かったな」と思うけれど、わたしが持っているカメラは少し大きいので困ってしまう。誰か小さいけれど勝手の良いフィルムカメラをお恵み下さい。

カメラは撮らなくちゃ意味がないから、持っていって使わなかったら?ということを第一に考えてしまう。わたしの周りのカメラ好きは何があっても大抵カメラを首から肩から引っ提げて歩いているので、そういうところから差が出るんだと思った。まあわたしはカメラを本気でやっているわけではないのだけれど、差ってなんだ?

 

何故わたしはカメラを始めたのだろう?

中学生の頃はNikonの赤いデジカメを自分のお金で買ったけれど、結局そこまで使わずに箪笥の肥やしになってしまった。

高校から持ち始めたスマホに付属しているカメラは大抵自分を良く、可愛く映すために使っていて、あまり本来の使い方がなされていなかったように思う。

今のように写真に親しみ始めたのはTwitterで知り合った永遠女子高生の概念である某に出会って写真を撮ってもらったのがキッカケかもしれないし、大学でゼミの先輩がフィルムカメラをよく持ち歩いていたり、他専攻の友達とカメラを通じてお話ができたことによるかもしれない。

その中でもカメラをしっかりと「始めた」と言えるようになったのは、当時顔も声も知らなかった現恋人からフィルムカメラを譲ってもらった時からである気がする。

 

「わたしには写真を撮るセンスがある」とは言えないので、自分の写真を誇らしく思ったことなんて塵ほども無いのだけど、見返した時にその時の空気が感じられるから、自分の写真が好きだと思う。

キチンと構えて、焦点を合わせて、息を止めてシャッターを押す。あの緊張感ある一瞬を半永続的なものにするために、わたしは写真を撮っている。

見返した時に、当時の青い気持ちを笑えるように、日々記録していく。