今に繋ぐ

高校から浪人にかけての時代はエドシーランをよく聴いていたことを記憶している。

歌詞がわかる曲だと歌詞に注目してしまうけれど、英語に疎い私は洋楽の中の言葉を過敏に受け取らなかったから、勉強中のBGMとしてよく使っていた。

わたしが小学4年生の頃にサンタクロースから貰ったiPod  nanoは中学吹奏楽部に属してた時の見本用の音源と、VOCALOIDの曲、好きなバンド、アイドルグループの楽曲と、英語の単語帳についてきたリスニング教材音源と、背伸びしてTSUTAYAで借りた洋楽が数枚入ってるだけだった。良いものを持っているんだから貰った当時から活用すれば良かったのに、iPodが日の目を見たのは高校に入ってからと言っても過言じゃない。

高校に入る頃にはわたしもiPhoneを所持していたのだけれど、音楽が連絡ツールの電池を食うのが許せなかったのでiPodを使うようになった。ノイズを誤魔化すのに音楽を用いるので、触る際に誘惑がないように、というのも頭にあったかもしれない。

 

書いていて思い出したけれど、決定的にiPodを頻繁に使うようになったのは電車内でイヤホンの刺さりきっていないiPhoneで事故を起こしてしまったからだった。

地元駅から札幌駅まで20分ほど使って登校/下校をしていた。丁度帰宅ラッシュの電車内で、人と密着するというほどでもないけれど肩を少し竦めたような形で電車に揺られていて、当然退屈なのでいつものように音楽を聴き始めた。

当時は専ら有線のイヤホンが主流だったのでわたしも勿論イヤホンジャックにコードを刺し自分の耳へと繋げていた。はずだった。音に違和感を感じなかったということは最初からはまっていなかったと思う。いつもより聞こえが悪い気がしてiPhoneの音量ボタンを数回押した。

ああいうのはどういうタイミングで気づくのだろう。あれ?これ刺さってる?と一瞬で顔色が悪くなる。電車で音漏れしている人は数回見かけたことがあるので、それがどんなに恥ずかしい行為かは知っていた。その時聴いていた音楽はMAN  WITH  A  MISSIONのdistanceだった気がする。MWAMが好きだという友人がそんなに周りにいなかったので人に聞かせたりなんてなかったし、なんとなく女の子らしくないかなあと自分で思っていた。そんな曲が電車内で流れている。イヤホンジャックを確認する前に曲を大慌てで止めた。気付いているなら周りの人が注意してくれれば良いのに、と泣きそうになった。

その事件で何故iPod  nanoに移行したのかというと、わたしのnanoは縦長でカメラが付く1個前のモデルだったからだ。買ってもらった直後にわたしの友人がカメラ付きの新しいモデルを見せびらかしてきて、感じた特異点は、写真が撮れる(カメラが内蔵されているので)ということと、「スピーカーが内蔵されている」ということだった。わたしのiPodはイヤホンジャックを通じてでしか音楽を届けることができなかったのだ。

小さい頃はスピーカーがついていなくてみんなと共有できないことを至極嘆いたものだったけれど、電車内でイヤホンを挿して曲を聴くわたしとしては誤爆の可能性が全くない奇跡の機械だったのだ。

 

買った当時から13年弱が経とうとしているけれど、未だにiPodはわたしの手元にある。流石に電池が寿命に近くなってしまっていてフル充電で2、3時間しか稼働してくれないけれど、10歳のわたしから19歳のわたしまで温かく見守ってくれていた機械はわたしに大いなる安らぎを与えてくれたと思う。

毎年クリスマスプレゼントの予算は5000円だったのに、10歳の子供に贅沢なものを贈ってくれたサンタの依頼主。わたしはこの先も果てしなく感謝せねばならないなあ。