自分の道は他人が示してくれる

 

23年生きてきて、自分を鑑みれば鑑みるほど自分が選択したことって少ないんじゃないか?というような気になる。

高校も大学もその他バイトなんかも趣味嗜好とかも。人間やっているんだから社会に干渉されて自分が形成されるなんて当たり前だとは思うけれど、自分から選びましたって胸を張れることなんて無いんじゃないかと不安になる。

 

「主体性がない」というのはよく新人研修などで言われたりするけれど、そんなにわるいことだろうか?と開き直りたい。全ての人間が誰にも干渉されずにgoing my wayしてしまうなら激しく摩擦して殺伐としてしまうんだろう。きっと。

 

23歳にして2回目の就活だけども、考えれば考えるほど自分が何をしたいのかがよくわからなくなる。

気持ちはクリエイティブで切磋琢磨できるようなことをしたいと思うけれど、たった数ヶ月(インターンも含めばそれ以上なのだけれど)頑張っただけで折れてしまったわたしにそんなことができるとは思えない。地道にコツコツ積み重ねるような仕事の方が向いているんじゃないかと思う。

でも実際働いてみないと向き不向きなんてわからないし、取り敢えず職につかなくちゃならないのかなと思う。浪人を経験した身で言えば取り敢えずで進路を決めるってどうなんだろうと思うけれど、学生と違って会社員になることはお金をもらう側なのだから、そんなに神経質にならなくてもいいのかなあ。よくわからなくなってきてしまった。

 

わたしはあまり人に相談しない性格なのだけれど、仲良い友人はわたしが悩んでいそうなのを察して「こういう風に生きるのがゆいには合うと思うよ」と言ってくれる。有難い。

大抵その言葉はすごく腑に落ちる。確かにわたしってそうういう人間だったかも。第三者が見るわたしの方が確からしいと思う。わたし自身、自分に対して卑下をしてしまったりすることが多いから、良い部分を見てくれる第三者の方が向き不向きをわかってくれている気がする。

一応補足すると、友人の言うことを全て鵜呑みにしているわけではない。友人のことを尊敬していて、信頼できると思うから信用できるのだと思う。そういう友人がいてくれて本当に恵まれているな。

 

不器用でコツコツやることしか取り柄がない割に、自分を過信して「何かを生み出せたら」「誰かの手助けになれたら」と思ったりする。働き始めたらこういう純粋な気持ちとかも無くなってしまうのだろうな。

自分の意思は揺らぎやすいから、悩めるときに悩みまくろうと思う。友人は道標だ。