進化の過程

最近は暗いことしか話してないから、絞り出してでも楽しいことを話そうかな。

 

といっても専ら恋人としかいないのでその話になってしまう。ブログを公開し始めたのは元彼に振られたときだったので、そう思うと一周回って辿り着いた感じが強い。わたしは結構恋愛脳な人間らしい。

 

今の恋人は某大学の博士課程の学生で、一言でいうなら柴犬みたいな男です。神経質で、縄張り意識が高くて、自分が認めた人間以外は全て敵だと思うような。博愛を目指しているわたしとは正反対を見ているような人間。専門分野が違うので考え方も結構変わってくるかも。

何気ない話の中でもよく論議をしてくれて、そのたびに恋人の主張の方が尤もらしかったり、わたしの考えの方が丸く収まるものだったりする。わたしは頭が良くないので合理的な考えは浮かばないけれど感覚的で曖昧なことについてはよく考えているのだ、と気付かされる。正反対だからこそ、得られるものが大きい気がする。

 

いつかの元彼に「違うからこそ得られるものだってあるんじゃないか」と言った言葉が、やっと意味をなしてきたように思える。

わたしが考えていたことは間違っていなくて、相手とかタイミングが悪かったんだと受け止められるようになった。

 

 

恋人はわたしのことを猫とでも思っているかのようで、わたしがかなり不本意な理由でベッドに張り付いているのを咎めたりはしない。「いっぱい寝たねえ」と声をかけてくれる。それが今の私にとって凄く嬉しいこと。

自分でも今の自分は怠けているんじゃないかと怖くなって何も出来なくなってしまう。事実怠けてはいるし、咎められても仕方ない。だけど彼はそれを少しも責めようとはしていなかった。

今日一日何も出来なかった、と言っても少し眉を下げて撫でてくれる。私の中の戦いを認めてくれている。実際のところはわからないけれど、そんなふうに感じる。

 

怒られて当然だと思う。

だけどわたしは怒られ慣れないせいで、今になっても怒られ方がわからないのだと思う。

何もしていない時でも、叱責の声が自分に響く。何故寝てばかりいるの。何故家を出られないの。何故やることをやっていないの。自分自身にもこんなに怒られて、その上他人にも圧力をかけられるなんて。自分の生き方が悪かったんだと、さらに自信を無くしていく。

 

恋人はわたしを猫のように扱う。

でもわたしは完璧な猫ではないから、いつか愛想を尽かされてしまうような気がする。人間になれない、けれど猫のままでもいられない。