寝床にて

東京にふらっとインターンシップに向かって、でも全然気乗りはしなかった。(自分が興味のある職種でないことも関係している気がする)東京という街に向かうたびに悲しい気持ちになって、何かが削がれて、疲弊してしまう気がする。実際美術館を見る以外、なにかと疲れてしまうことが多かった。

人が多くて、緑が少なくて、ビルは高くて密集していて。どこか知らない世界に放り出されたような気持ちになる。

そんな世界でも楽しめるようにフィルムカメラを持ち出したのだけど、何故か不調で、変えたばかりの電池が底をついていると表示された。わたしは孤独な世界を誰に伝えることもなく、少しずつ細くなっていくのかしらと、そんな気がした。

 

インターンと、夕飯を共にした友達以外は喋ることがなかった。全部薄っぺらい会話で、そんなことなら話さなければよかったなという気持ちにさえなってしまう。隙さえあれば死を考えた。どうしたら1番簡単に全ての物事を整理できるのだろうか、と。

実際この世に未練は無いのかもしれない。何か大して積み上げていたこともないし、怠惰な生活を繰り返して、他人の評価を下げていくばかり。自分もじぶんに疲れていた。確実に死ねる方法があるのなら頼りたいくらいだと思う。

でも人が死ぬのはそう容易ではないし、後片付けだってお金がかかるものだ。そう考えると高校生の時に勢い余って突っ走って仕舞えばよかったのかと今更後悔している。大学の学費とかを葬儀代に当てれば、少しは周りの負担が軽くなっただろうと思う。

 

息をするたびに、自分の存在する理由が分からなくなる。頭も良くなくて、顔も特別美しいわけでもない、話だってありきたりだし、武器になるものなんて1つも持ち合わせていない。

 

ただ何となく死ねないのは、自分より重篤そうに心を病んでいる人がまだ生きているからだと思う。他人の辛さと自分の辛さを比較してはいけないと、常々口にしているけれど、じぶんに対してはどうしても比較してしまう。

わたしが世界で一番不幸なんかじゃない。

そのおかげで生き延びていて、そのせいで死ねないでいる。

 

正直自分がどのように今後振る舞っていくべきか、わかっていない。

就職活動というものをしてはいるけれど、果たして朝起きて夕方家に帰るルーティンを毎日繰り返せるほど強固な身体なのだろうか。

そもそも学校に行けていないのに卒業出来るのだろうか。

10歳のわたしが今の私をみたら、きっとだらしない人間だと軽蔑するだろう。