わたしの研究

朝が来て、昼が来る前にもう夜が顔を出してしまうような毎日を繰り返しているけれど、世間は2020年に到達したよう。わたしは未だに足踏みをして、地面を見つめている。

 

得られたことはなんだっただろう。

明日を暮らすために今日準備をすることが大事だとか、そのためにはリストアップして可視化するのが大事だとか、そんなことを考えていた。

あとは、自分の性と癖のこと。恋人のことは格別大切にしているのだけれど、それとは別に、同じ性の人間を好むらしいこと。男から向けられる性的な視線が本当に苦手なこと。

あまり重大なことは成し遂げていない気がする。自分を見つめて、見つめて、いっぱいになった気になっただけだった。

会いたい人がいっぱい居たのに、会えないことが多かった。やらなきゃならないことが沢山あったのに、消化できなかった。

反省ばかりしても何もならないかな、と気付いたのは最近のことでした。恥ずかしながら。

 

小さい頃は通知表がオール5(5段階評価)で、それが自分にとって凄く自慢だった。そのうち体育とかでボロが出始めるんだけど、5教科はなるべく良い成績を残そうと躍起になっていた。

今になってみると数字になってしまうのが良くなかったのだろうなと思う。満点以外は全てダメな気がしていた。親ももちろん数字が高ければ高いほど喜ぶし、わたしは賢くて親にも期待されている人間なのだと胸を張りまくっていた。

星の王子さまを読んでいたにも関わらず、全然その言葉が胸に響いていなかった。若いってそういうことだろうと思うけれど。

 

わたしは妥協を知った方がいい。

満点じゃなくても自分を褒める能力を持たなきゃならない。これから生きていくためにも。

自分で自分の首を絞め続ける日々をどう食い止められるだろう、というのを解消するにはこの方法しかないんじゃないか。

 

今日は1000円を落としたけれど、賽銭箱に入れた気持ちで自分を誤魔化して、心の傾きはなだらかなまま保たれた。

 

完璧じゃなくても、自分が納得できればそれで大丈夫だ。たぶん。

優しい人間だから、真面目な人間だから、と自分を褒めて誤魔化すのはあまり好ましくないけれど、何事も過度に突き詰めすぎても良くないからなあと肯定的な言葉で言ってあげれば納得できるのかもしれない。

 

自分と生きて22年。わたし自身の成熟もあるけれどだいぶ自分がわかってきた気がする。

それが良いことを招くのかはわからないけれど、自分の操作をわかっていたら何事にも融通がきくのはわかった。

 

23という歳はわたしの憧れの人の当時の年齢だけれど、その歳を迎えるというのはわたしにとって大きな意味を成すような気がしている。

今年は自分を大切に、わたしの研究を更に突き詰めたいと思う。

過度なものはよくないけれど。