わたしがやりたくてやってるわけじゃないのに、というのは言い訳だと思うけれど、どう考えても自分に適性がないものを背負わされている気がする。休みの日に美味しいご飯を食べていても心の奥底で悲しい気持ちになる。なんでやることやっていないのに娯楽ばかり楽しんでいるのって自分を押し付けてばかりいる。その上マッシュポテトを作るのさえ満足に出来なくて苦しくて悔しくて泣いてしまったりしている。

人と顔を突き合わせて話すと自分がダメでも多少は許されているのかしらという気持ちになって楽になれるけれど、大抵は自分以外の全てが敵で、わたしはひたすら人間の顔色を伺って伺って元の表情が何かわからなくなるくらい歪ませている。取り敢えず甘えた声で有難うを連呼する。御礼を言う人間に攻撃的になるような非情な人間は少ないと思っているから。

 

本当に心の状態が良くないときは人間に対して攻撃的な言い方をしてしまう。あなたが無意識にひどいことを言うからでしょう、わたしの気持ちなんて考えたことないくせに。言ってしまった時も、言わずに済んだ時も、どのみち心の奥底で嫌な気持ちが広がってダメになってしまう。何故人のせいかのように他人を傷つけてしまうのだろう、自分が悪いのに責任転嫁するなんて、小さいころに親に言われた思いやりの心は自分に向けて棘を向けている。

苦しい。

 

 

ずっと前から微かに今死んでしまったらどうなるだろうと考えている。企画は空中分解をして、死んでもなお責められるのかしら、少しでも同情してくれるのかしら。迷惑をこれ以上かけるのは出来ないから意図的にそうはしないけれど、何か不慮の事故でポカンと消えてしまえたらと思う。でもそうなったらわたしの苦しさとかは何処にもいけず理解されず消えてしまうんだと思う。

 

 

どうしたらいいのかというと、文章を書くことを延々するのが正解だ。そう思うようにしている。苦しい気持ちの時に書く文章が自分には一番いいと思っているから、泥水啜りながら文字を羅列する。そうしたらいつか報われると思っている。

果たして本当にそうなのかは、神様くらいにしかわからないんじゃないかなと思うけれど。

 

 

本当は本当に放棄したいし逃げたいし消えたいし無理なんだ。そもそもわたしが断れないのがダメなんだ。今の現状に納得するには自分を駄目だと思わないといけないから苦しい。自分の本当にやらなきゃいけないことを潰して、みんなに迷惑がかからないようにしなきゃいけないのが悲しい。なにか尤もらしい理由で休めと言われたい。みんなが思うようになんでもできるわたしじゃない。