新天地の都とは

2泊3日の短い旅が一先ず終わった。行く前はあんなに嫌嫌だったのに今はなんだかスッキリした気持ちで飛行機に乗っている。東京に向かう行為はあまり好きではないけれど、行ってしまえば案外楽しめる人間かもしれない。

 

今は自分の居住区を移すために飛行機に乗って就職活動をしている。

自分の住んでいる街が良い悪いというよりも単純に飽きたのかもしれない。一人暮らしだってしたいし、自分のことを知らない人がいっぱい居る世界に行きたい。結構曖昧な欲求で、それでいて自分にとっては根強い部分を占めていた。

でも最近その気持ちにブレがある。

主に要因は自分のこころのこと。周りの変化に対応できていない。イレギュラーな予定が苦手だという割に、家までイレギュラーになったらどうなってしまうだろう。数ヶ月すれば慣れると言っても、その数ヶ月がとても苦痛になるかもしれない。そんな自分が新天地で活躍できるだろうか。今のところは首を捻るしかない。

結局一人暮らしが出来たら良いのだろうし、北海道で就職して一人で住めば良いんじゃないか。実際そういうこともできるわけで、そうなんだったら今血反吐吐く意味なんてないんじゃないか。なーんだ。自己嫌悪を繰り返すばかり。

 

会社の好き嫌い、そこで働けるか否かというのはすごく過敏に感じ取れると思う。普通の人よりも鍛えられて育っていると思うから。無理だと思えば続かないし、好きなことはしっかりのめり込める。ただ、会社の問題と環境の問題は別なんじゃないか。

 

会社が決まったところで衣食住全て決まるわけでもないし、きっと数年は自分の身を置くべき場所に悩むんだと思う。どこで住んで、食物を買って、服を買うのか。そして娯楽となる地は何処なのか。

選択肢があることで豊かに思う人もいるんだろうけれど、わたしは絶対に選択肢が無い方がずっと平穏でいられる。好きな香水、好きな服をトレードマークよろしく身につけていたい。イレギュラーなのは週末のデートだけで良いと思う。

自分に変化をつけるのはとてもエネルギーが必要なこと。周りの人間は何故簡単にそんなことをできてしまうのだろう、と少し妬みを含んだ気持ちを抱えてしまう。

 

京都に一度は住めますように。

 

森見登美彦のファンなのであの街に特別な思い入れもあるし、若かりし頃の青春を拾いたい気持ちもあるし、何かの小説がそこを療養地であると夢想していて救われるような気分になったのもある。今すぐで無くても良いのだけど、心が折れてしまっているからこそ原点に帰るべきだ。

鼓膜を圧迫されながらそんなふうにぼんやり思っていた。