キーボードの重要性

人の文章をあまり快く見れなくて、媚びたような裏を見透かそうと必死に神経を擦り減らしている。

いつもiPhoneで文章を打っているので、私の変換をより正確に素早く表してくれないパソコンに少し苛立ちを感じたりもする。私のパソコンの悪い部分はタッチキーボード?というのか、押した感触がないことだと思う。

 

最近は学生をやるよりエステティシャンをやってることが多い。アルバイトというか、そういう感じのものなんだけれど、その職業になりきっているうちは「学生」ということを名乗らなくて済むので少し安堵していたりする。普段のわたしからより切り離されている方が自分にとって都合がいい。「あの時は休んだくせにね?」というような疑いの目から逃れられるから。

そうそう、突然エステティシャンの話をしたのは、「実際に触る」っていうことが本当に大事なのってことを伝えたかったから。

今は機械も素晴らしいものになっているから、私たちも通常の(オプション抜きの)エステで空気圧を利用したような機械で肌を触ることが常。だけど結局全て機械ににしたところで今みたいな気持ちよさは得られないと思っていて。人工皮膚とかそういうものを駆使したら全身を機械で解せるのかもしれないけれど、それって結構味気なくて簡素な感じがしない?

やってることは同じでしょって言われたら何も言い返せないのかもしれないけれど、効率とか抜きに考えたいなあと、私は思う。

 

そういうことで(わたしのパソコンが容量なくて熱持ちやすくてそのかわり軽くて薄いのは良いけれど)タッチキーボードは気が乗らない。

 

でもiPhoneだって画面がフラットだしなあ?

強いて言うならキーの音がシュポシュポ鳴ったほうが好み。そういう設定にしたことはないけれど。なんとなくスマホをいじるのに罪悪感を感じるからね、なるべく存在を消して触りたい。アナログな人間なので重要なことをメモするのにスマホとかはまだまだ使えないなあ。

 

 

今はお気に入りの作業場でもある某所のタリーズから文章を打っているのだけど、店内のBGMをかき消すようにBluetoothイヤホンを鳴らしてるのが、我ながら滑稽だなあと思う。

最近はなかなか不幸を演じている気がするけれど、病名もないし危篤でもないし、自分自身でもただの怠惰なんじゃないかって気分になる。自分で自分のことを信じられない。数分前に自分が言ったことの確からしさもわからなくなって、酷く自己嫌悪に陥る。それでも電子の文字の海を見たら、私よりも如何にも具合の悪そうな人たちがいる。それが私の口を塞がせる。

先生と5年目の話をしたけれど、自殺宣告みたいで胸が焼ける思いがした。今のところ、私が墜落するときのパラシュートとしてその案を抱えている。