文字と私。これから。

一度の投稿で1,000字を書き上げようと決めて2年弱が経つ。今や100回の投稿を済ませ、合計で100,000字を超えている。数字が好きなのかわからないけれど、数えていくと達成感と誇らしさを得られる気がする。

 

わたしが文字を書いてきて一番重要だと思っているらしいことは自分が感じたことを文字に落とし込むこと。綺麗なのか汚いのか、真っ直ぐか曲がっているか、そういうことを伝えたいなあと思いながら文字を書いている。

 

ここ最近、1年ぶりにまとまった物語を書きたいと思って、想像できる箇所を文章に纏めたりしていた。

わたしは順序立てて計画することができないので、書きたい部分を書きながら足したり引いたりして物事を考えている。繋がらなければ封印してしまって、またいつか、活きる日まで大事にとっておく。

 

私の中であまり視覚情報は大事じゃないのかもしれない。

川を見ればいつも鴨川を、鬱蒼と茂っている森林を見れば幼少期のキャンプの思い出が、飛行機に乗れば道外に行くのをあまり好ましく思っていない親の顔を思い出す。北海道にいたって、東京にいたって、京都にいたって、この感覚はブレることは無く、きっと何処かで懐かしさを感じる。

何処か懐かしさを感じながら、心を痛めて、すり減らしている。

 

悲しい時って面白いものを見てもどうしても悲しく見えてしまう。どうしてこんなにもあべこべに出来ているのか、自分でも呆れてしまう。

 

今のところ人の心を癒せるのは人しか無いと思う。

浪人の頃からそうだったけれど、凹んだときは必ず接客が丁寧なカフェに行くことにしていた。コーヒーを買うというよりも、その接客を買う気持ちで。子供騙しだけれど、それでも少し気分が良くなってしまうから不思議だった。

 

 

文字を書くには人との分離が必要だと、私は思う。毎日が楽しくて騒がしくて、そんな日々だと驚くほど文字が書けない。日々が充実しているという意味では良いのかもしれないけれど、あまりよくはない。

でも逆に言うと楽しいと思った数分後にはもう絶望が待っている。大好きだった森見登美彦著のペンギン・ハイウェイが映像化され、それを見に行くまでが一番楽しかったみたいに。飛行機を予約するときはすごく楽しかったのに、カバンにものを詰めたり早起きしたりが億劫になっちゃうみたいに。

 

あまり生きるのが上手くないみたいだ。

 

私は今何がしたくて、何を求めているのか。