この間「取り敢えず一通りブログを読んだ」と言われました。

誠実な人だから、私の横にいる以上は知っておきたいと思ったのかもしれない。面白いことを書いたつもりもないし、憂鬱とか一時的な躁とかが書かれているから少し恥ずかしいと思います。でも理解しようと歩み寄ってくれるのが本当に嬉しい。

 

そういえば私は何故ブログを始めたんでしたっけ。答えはそう、胃痛です。

至極陳腐で恥ずかしいのだけれど、当時の私は男に振られて心も身体も疲弊していたのでした。その上大学で最も仲良くしていた友人が夢を追いかけ故郷に帰ってしまったことで私の未来は一気に潰えてしまったのです。今反芻しても可哀想すぎるよね。よしよし。

胃痛に耐えるのも良かったのですが、私はそれを何かに昇華したかった。消費されて終わりたくはなかったんです。

文字にすることは私の武器であり、盾でした。

 

 

最近は特に何が起きるかを予想したわけでもなく「良くないなあ」と思っています。

長風呂をしすぎるとお風呂から抜け出すのが億劫で、それでも少しずつ指がふやけてしまったり喉が渇いてしまったりする。そんなことが起こるんじゃないかなと思います。

 

 

誰か私を正気にさせていただきたい。

「面白くないよ」とか「ツマラナイよ」とか「最近そればっかりだね」って批判していただきたい。世間はあまり私に関心が無いのだろうけど、無さすぎても困るよ、沼に落ちる前に正気に戻りたい。

 

こんなことを思っているけど決して相手があんまりという訳じゃない。普通に良い人で、普通に良い男なんです。恐らく。わたしにはそう見える。少なくとも彼等みたいに私に酷いことをしたりはしないと思うんです。寧ろ私が無意識に嫌がることをしてしまって、幻滅される未来しか見えなくて。

 

 

 

と、まあここまで綴っていたのが10月10日の私で、11月6日を生きる私はそれを読んで「へえ」という気持ちになるのでした。

今の私は彼の献身を大いに受け入れているし、寧ろ受け取れるものは頂いてしまおうという気持ちさえあります。根本的に傲慢な人間なのです。

兵器にしていた文章も、今では大事なものを摘み取る為の籠となっています。零さないように、だけど要らない塵を私の中に持ち込まないように少しだけ網目を甘くして。

「良くないなあ」と漠然に思っていたことも、何がダメなのか明言化できるようになりました。ここには書かないけれど。

 

月日が経つのは恐ろしいけれど、今はそのことに感謝さえしています。少しずつ、でも確実に歩み寄っている。わたしにもわたしがわかってきました。

 

 

私が朝だと思う頃に彼は夜を感じていることに最近は感謝をしている。