暗記と記憶

人より多くのことを覚えていると、なんだか自分が不幸になった気がする。それは人と遊ぶ約束なんかを取り付けた時に顕著になって、どうでも良いことなんだろうけどどうでも良いと流せない自分が嫌になる。

例えば遊ぶ日にちとか、口頭でさらっと交わして約束を決めたにしても私は覚えている。何をしたかったか。パフェを食べたい、悩みを話したい、新しく出来たカフェに行ってみたい。くだらないことだけ鮮明に覚えている。私はくだらないと思ってはないのだけれど、周りの人は直ぐ忘れてしまうからくだらないことなのだと思う。悲しい。

くだらないことよりも数学の公式とか世界史の偉い人の名前とか日本史の年号とか、そういうことを覚えられていれば良かったのかもしれない。私は覚えているのに相手は覚えてないのか、と考えるのは、気持ちの一方通行さを感じてしまうから良くない。

 

今日、私がとてもよく思っている中学生とお別れをした。彼は高校受験のためだけに塾に通っていたので、高校受験を終えた今 私のバイト先である塾に通う必要がなくなったからだ。

私は彼が真摯に数学を解いてきてくれるので凄く憧れてしまって、恐らく他の人より1割くらいは多めに気にかけていたと思う。彼が先週どんな問題に躓いたかとかどんな雑談をしていたかとかそんな些細なことも記憶していた。それは私が彼との関係をなるべく円滑にしたかったからというとても不純な動機なのだろう。

私にとって彼がいなくなったことはちょっとした事件だ。

けれどきっと彼にとってはそうじゃない。私はあくまで人生で何人か目の先生という存在で、それ以上でも以下でもないだろう。

この話は先生と生徒の話だからそんなに大したことに聞こえないのかもしれないけれど、彼を生徒でなく恋人と置き換えたとしたら、私の言いたいことが伝わるかしら。

私が初めて手を繋いだ時の手の汗ばみとか温みとか筋肉の強張り方まで覚えているのに、相手は「手を繋いだ」という事実しか覚えていないみたいな。

 

多分私はこのことで他人を責めちゃいけないのだろうなと思う。私が人より相手のことを記憶してしまう体質なだけで、何故記憶してくれないのかと責めるのはお門違いなのだ。

こうやってできる他人との歪みで私は毎日悲しく思ったりしているのに、それでも今日の今日までこんなに記憶している私が悪いのだという考えに至らなかった。何故かというと私は中学の歴史とかそういったときから暗記が苦手だと感じていたから。

気付かない方が幸せなのか、それとも。