川の中の石ころ

去年の4月からずっと、通学中に通る小さな2つの川の流れを観察するのが習慣になっている。

雨の日の増水具合だとか、冬の表面の凍り具合、透明度、そんなものを毎日観察している。目的があるわけでもないし記録はしていない。

 

川は好き。

特に理由があるわけでも無いけれど、JRで川の上を跨ぐ時なんかにもハッと顔を上げて見てしまう。川を跨ぐ時のなんとも言えない無の時間が好き。

そう、何も考えてなんていない。雨に降られた時に空を仰ぐみたいな、そういうのと同じ。

 

一昨年は飛び降りか首吊りをするだろうなと思っていたけれど、今になって入水かなあという気もしてくる。

実際に行動を起こす気はないけれど。

 

 

他人に優しい人間になれない。許すフリをして冷たい目で見てしまう。何故私は血反吐吐いてやっているのに貴方は出来ないの?そう思ってしまうのは父親に似ているから凄く嫌な気持ちになる。

だけど私はわたしで結構いっぱいいっぱいみたいで、菩薩にはなれない。

 

 

憂鬱を抱えない人間はどういう風に生きているんだろう。後ろ暗いものを抱えないで生きていけるのは何故なんだろう。

私は弱い人間なのかなあ。

 

弱いからといって人に頼ってはいけないと思うのが私で、これが普通なのだと思っていたのだけれど 他人から「トラウマなんだね」と言われて「トラウマなのか?」と自覚した。

たしかに言われればトラウマと名付けられるものと一緒だったかもしれない。でも私が生きていく上で避けられなかった案件だから、今更トラウマだなんて言われても困るよ。私の思想。

 

優しく丁寧に育てられた人間には一生敵わない。私はこういうところに自分の卑しさを感じて生きられない気持ちになってしまう。何故不満に思わずに生きられるの。吐き出さなくても平気な顔ができるの。

 

 

私を甘やかす人間が一定数いるのだけど、そういう人に巡り合うたびに申し訳なくなる。貴方は私に寄りかかられて潰れてしまわないのだろうか。

私の中には怪物が住んでいて、触れられて初めて重さと大きさと不吉さを悟られる。それで嫌な気持ちにさせてしまうのなら一生1人で突っ立っていたいな。

遠くから眺めて、その不気味さを1周回って美しいと形容してほしい。

 

 

川の流れの先には何があるんだろう。海なんだろうけどさ。

私が見るのは断片としての川だけ。河口の部分にはあまり魅力を感じなかった。流れる一瞬を捉えて、寂しい気持ちになるだけでいいなと思う。