胃腸薬

カップとソーサーが微妙に合わなくて、はまりもせずにカタカタ音を立てるような気持ち。言葉にしろと言われても出来ない心の騒めきを出来るだけ文字にする。賢くなくていい、伝わればいい。

 

人と話すほどに解像度は低下して形は無くなっていく。私が言いたいのは触れたら切れてしまうような神経質さだ。人と寄り添うことで鈍くなっていく自分の気持ちを、夜な夜な研いで鋭くする。

美容師の人から聞いたのだけど、鋏やレザーは自分で研ぐものらしい。今まである程度消耗品だと思っていたのだけど、研いでものが使える限りずっと使えるらしい。ただ、ずっと使うためには自分自身が研ぐ技術を取得していなければならない。どんなに良いレザーを持っていても、研ぐことが出来なければ消耗品も同然になってしまう。

私自身もそんな気がする。きっと情緒的なことはだれより思っている。繊細で多感で気づきが多い人間だと思いたい。だけれどそれを伝えるための語彙力だとか、文章構成能力が欠けているように思える。言いたいのはそれじゃない、誤解なく伝えるにはどうすればいいのか?悪意を持った人間にはどうしても伝わるはずがなくて困ってしまう。

 

私が今戦っているのは、形もないもの。

朝起きた時から、夜眠る直前まで、私に重くのしかかっている。なんだろう。ずっと前からインターネットや辞書やらで調べてはいるものの、そのものの正体を書いているものは一切なかった。ただ、人に拙い言葉でそのものを伝えようとすると伝わるらしく、ウンウンと頷かれる。

人はあまりこれを好ましく思わないらしいけれど、私はこれがないと生きていけないと思う。これがないと、中身がない人間になってしまいそうで怖いと思う。

 

幸せを手にしてしまえばそれは消えてしまうのではないかと不安になったこともあったのだけど、そんなことは一切無くて、少し安心している。

心配すべきは私の周囲にいる人間がそれを疎ましく思いわたしから離れないかということなのだけど、もしそれが原因で離れていってしまったら、本当の意味でわたしのことは好きじゃなかったということだから、どうでもいいなとさえ思う。

わたしは私と生きていく。

 

お腹がいっぱいなようで、ただ胃が痛むだけだった、というようなことが最近何度かある。何か重圧があったり、何か嫌なことがあるわけでもないのに。今年始めから患った胃痛は年末までも付き添うようだ。

わたしは胃痛と生きていく。