旅先

再生。自分を再生するために京都に行ったと言っても過言ではないかもしれない。

久しぶりに降り立つ京都は以前と全く違うのではないかと少し心配だったけれど、その心配はまったくの杞憂だったと思う。多少店が変わっていたりなどの変化はあったけれど、望んでいた京都がそこにはあった。

 

私が1つ不服に思うのは、人生で東京に10回以上行ったことがあるというのは割と普通なことなのに、京都に10回以上行ったことがあるというのは非常に気違いじみたことだと認識されること。私は京都という街が好きだし、一種私の故郷であると感じている。

京都に住んだ人間からすると、私みたいに1度も京都に住んだことがなくただただ憧れを抱いている人間は非常に浅はかな思いしか持っていないのだろうと思うのかもしれない。実際そうかもしれないから、私も大々的に言うのは少し恥ずかしいことなんじゃないかというような気さえしてくる。そういった懸念があるから私は将来京都に住みたいと言いつつも、本当に住んでしまって良いものだろうかと怯えている。

夢は遠くにあるからこそ輝いて見えるものなのかもしれない。それでも私の友人で、同じように京都のことを愛している人間は、京都に住んでもなお京都のことを愛している。

私もきっとそちら側の人間なんじゃないか。彼らを見るたびに私の心の奥底の何かがそう叫んでいる気がする。

 

学生最後に京都に行きたいと言う願望は叶えることができた。些細なことかもしれないけれど、これを達成することによって私はこれからの人生全てが丸く収まるような気がしている。

人生といっても、現段階で私の人生はたかが24年分しかない。4、50代の経験を重ねた人間から見ると本当に些細な迷いや軽微な失敗ばかりだったのかもしれない。それでも24歳の私にとって24年というのは人生の全てであるし、それを安易に他人の言葉で評価されたくない。私にとっての私の24年間は人に言えないくらい悲しいことや苦しいことが詰まっていた。楽しかったこともあるし、全てが最悪とまでは言わないけれど、最後をきれいに結ばないと自分の気持ちが消化できないような気がする。そんな呪いを私は私にかけた。

ただ、今はその呪いを解いて、学生とか扶養とかの言葉に守られた優しい世界から抜け出そうと思う。他人と比べて非常に不器用だったけど、これが成長というものだと思う。

 

多分25歳になっても辛い事は辛いし、気分が非常に落ち込んでしまう事はあるのだろうと思う。それが人間だし、「生きていく」ということなんだと解釈している。

自分で自分を世話するために私は京都に向かったんだと思う。辛くなったらいつでも思い出せるように。