今日は道内公立高校の合格発表。
何故こんな話をするのかというと、私は田舎の塾講師をやっているので嫌でもそんなものがイベント化してしまうのでした。
因みに私の高校入試。
夏頃に地元の個人塾に通い始めて、道内学力コンクールという所謂模試の合格確率を30数%から92%に上げて、調子に乗って試験当日もゆるりと家を出たら部屋の中で一番最後の入室者で、焦ったけれど内申点に助けられてなんとか引っかかって、こんなもんかあと思ったくらい。何もドラマも無くて、挫折とかそういうものは一切感じなくて、そりゃ今まで躓いたことがないから当たり前で、逆に落ちる人なんているの?って何様だというような視点で俯瞰していた。
大学受験で挫折(といって良いのか未だにわからないけれど、一般的に浪人=挫折なイメージがあると思うから挫折ということにする)したことがあるからか、今年の高校合格発表はなんだか凄く胸にきた。
当然だけれど、塾に通っていた生徒の中で落ちた人もいるわけで。落ちたのに落ち込まずに「どうしましょうかね〜」と笑って、気休めみたいに高校の先取りテキストをやっている姿は、私よりも歳上のように思えた。私だったら塞ぎ込んで、今日くらいは家から一切出なかったと思う。
勉強をやっていなくて、塾に来なくなって、それで落ちたのであれば自分の責任だし、そうなんだねまあ二次募集とか私立行こうねと簡単に言えるけれど、本当に頑張っていた相手には何て言えばいいのかわからなかった。
多分きっと、中学の時の私より彼女は賢かった。勉強というものがどういうものなのかわかっている風だった。単純に脳みそに知識を流し込むのじゃなくて、勉強とは、学問とは、そんなものが捉えられていると思った。
そんな子が落ちるのは、とても悲しいと思う。
この子が高校受験をきっかけとして勉強から離れてしまうのだったら悲しいと思う。
15歳で、数字で区切られて良いか悪いか判断を下されるのは非常に酷だと思う。
試験を受けさせて点数で選別するのは大人数を選り分ける上で賢い方法ではある。だけど15歳でダメだと烙印を押されてしまったら、私は立ち直れるだろうか?
今の日本は数字が全てだなあと常に思う。試験の点数だとか、検定何級を持っているだとか、TOEIC・TOEFLが何点だとか、比較するには数字がわかりやすくて公平だとは思う。思うけれど、感情的な部分でそれは悲しいと感じてしまう。
落ちはない。
悲しいなあって思ったよ というだけの話。