妄想的断捨離論

最近、どんどん部屋が汚くなる。

元々自分のものではないから手が加えられない部分があって、そこの上に自分のものを重ねていくから綺麗にしようがない。

机の上には本が塔を作っているし、洋服はタンスに収まらないからイスに山が出来ていて、ベッドの上には読みかけの本と目覚まし時計とヌイグルミがバラバラ散らばっている。汚さに気付くたびに安易な自殺願望が芽生える。

 

汚いからといっても自分の中で規則性はある。この区域には本は置かない。衣類はここ。ベッドに勉強道具は持ち込まない。他人には理解されないかもしれないけれど、一定のルールを守って物と暮らしている。

だからこそ、母親が畳んだ衣類をベッドの上に置いていくとかいった行為は耐えられない。一旦ベッドに置かれた衣類をグチャグチャにして、落ち着いた頃に畳んで指定の場所に置く。そんなことをしないと自分が保てなくなる。

 

汚くなるなら物を捨てれば良いじゃないか。

これは数年前から私も思っている。絶対量が減れば物の移動は減るし、箪笥や棚から溢れることなんてあるはずがない。本当にそうなのだ。私だってわかっている。

なぜ出来ないのかというと、母が物を捨てられない人間なのだ。

私が衣替えと共に「この服はもう着ない!」と纏めても「小さくなったわけじゃないんでしょう?また来年になったら着れば良いじゃない」とクローゼットの隅に残しておく。そんなだから絶対量が減らないし、ものを新調すればするほど部屋は荒れていく。

私は考えるのを辞めた。

 

部屋を綺麗にするには、家を出ていかなければならない。

だってそうなんだ。今はもう都内でOLをしている姉の部屋でさえ物で溢れている。我が家にある部屋ではどうしたって綺麗になりようがない。綺麗な部屋にする最初の一歩は部屋を一新するところから始まる。

住むならば京都。そこまで綺麗じゃなくてもいいから、こぢんまりしていて持て余さない部屋がいい。

欲を言うならトイレ、お風呂は別。勉強するための机(机の角にコスメタワーがあって必要な時にはドレッサー代わりになればなお良し)、ベッド(ベッド下に収納できるやつがいいな)、本棚とクローゼットが欲しい。

服も本も化粧品も、お気に入りを少数精鋭で持ち込んで少しずつお気に入りを買い足していきたい。勿論しっかりお世話になり尽くしたものは定期的に廃棄していくスタイルで。

まあ私はあまり自室にいる気はしないので寝に行くくらいの気持ちでのらりくらり過ごして、たまの週末に恋人なんかを連れ込むのだ。「今日は私が美味しい夜ごはんを作るから、適当に寛いでいて。あ、この小説オススメだから読んでみて!」なーんて。

当然忙しい私はそこまで自炊をする時間もないのだけれど、今日は恋人のためにポトフを作ってあげるのだ。作ってあげるというよりかは事前につくったものを温める。温めつつサラダの準備。いつもはレタスオンリーな寂しい食卓なのだけど、今日はサラダ用の豆だとか燻製しちゃったサーモンだとかも添えてみる。一気にQOLが爆上がりしてしまう!

美味しく出来た(よそった)料理を部屋に運ぶと恋人が顔を上げてはにかむ。「早く食べよう!」そんな彼に私は少し悪戯っぽく「冷蔵庫にワインが入ってるから準備しなさーい!」と声をかける。彼は待ってましたと言わんばかりに冷蔵庫から葡萄酒を奪って、目にも止まらぬ速さでグラスまで用意しちゃって、「ポン」という音を響かせる。実は私はまだまだ子供の味覚なのでワインはあまり美味しいと思えないのだけれど、恋人がアルコールの下僕と化しているので多少は付き合ってあげる。

「いただきます」と発音するために開いた口のままで恋人はポトフを口に含む。「美味しい、こんな美味しいものを作ってしまうゆいちゃんに胃袋を掴まれてるから、僕もう逃げられないよ」なんて、冗談80%の言葉をアルコールに溶かして飲み込む。アルコールは自分を少し素直にしてくれるから好きだ。「死んでも逃してあげないから」