性と私、癖

私は性行為自体はあまり魅力を感じない。

寧ろ気持ち悪いとさえ思うし、事実不潔でどこか後ろめたいものだと思っている。

だけれど私が求めてしまうのはきっと行為中の瞳が冷ややかなのを確かめて、なにか自傷めいた気持ちを抱きたいからだろう。

 

という昨年3月31日の下書きがあった。

私が自傷しないのは可愛くありたいからだろうなと、ピアスみたいにファッションとして落とし込めるものなら喜んで腕を傷つけていたと思う。今のところリスカ跡というものにファッション性はないからリスカはしない。痛いし。

でも性行為と自傷を結びつけるのは相手に失礼だと思う。今のところ好きな人としかしたことないから思うのだろうけど。セックスするよりは手を繋いだ方が0距離で贅沢だよね。久しく手を繋いでいない。

好きな人とする性行為はmemento moriに近いと思う。近くにいると思っても実際はそんなことないんだぞって思い知らされる。永遠じゃないことを知るために、自惚れないために、性行為をするんじゃないかな。結局私は誰も好きじゃないのかも。私は汚い部分を晒しているのに、相手はきっと何も思ってなくて単純に気持ちいいとしか思ってなくて、悲しい。男の人は簡単に精を吐き出してスヤスヤ寝てしまうから厳しい世の中。

一般的なおんなのこはこんなこと思ったりしないんだろうか。距離が近い方が嬉しい、触られて嬉しい、そう思うのかな。気持ち悪くなってきた滅茶苦茶になってしまいたい。

女の子同士は入れようが無いから良いよね。きれい。支配する/される関係がないからしあわせ。だけどそれは責任を持たなくて良いみたいで軽薄なように感じられる。女の子同士で態態付き合う意味とは、あるのかな。あまり感じられないから告白しようとかそういった気持ちにならない。降り積もった気持ちを掻き集めて一気に捨ててしまう。利益がない。

 

1回も100回も大差ないけれど、私は全然違うと思う。1回1回確実に傷ついている。

本当に気持ち悪い癖だとは思うけれど、行為の後はどうしても文章に残したくなる。少なくとも12時間以内には手帳、最悪でもiPhoneのメモに書き留めてしまう。私の感情がどのように揺れたか。相手の瞳はどのように感じたか。嬉しかったか悲しかったか。

書き留めて、後で、それこそその季節が過ぎたら読み返す。大抵気持ち悪いのだけれど、それでもそうしないと忘れてしまう。この癖が出来たのは1年前くらいからだっけなあ。

文字に支配されている。

 

必要以上に駅でスキンシップをとるカップルは安易に幸せになれていそうだ、羨ましい。