克服

あれから1年が経った。

 

昔は昔で恵まれていたと思っていたのに、振り返れば全く幸せじゃなくて笑ってしまう。今が幸せだから良いとか悪いとか、そういう話とは別だけれど。

 

少しストレスを得たら痛む胃に加えて、唐突に騒ぎ出す心臓も手に入れてしまって、日に日に弱い人間になる。ストレスに耐性が無くなって、簡単に折れてしまうようになってしまった。尊敬する師を真似るなら「これってちょっと異常だよねえ」と言った感じ。

 

 

最近思うのは、物事にはロイヤルティーが重要だということ。royaltyじゃなくloyalty。最近の私は神様の奴隷だと思う。

願えば叶うなんて甘いことは言わないけれど、心身尽くせば見合った対価は貰えると思っている。勉強に対してだってそうだし、恋人に対してだってそう。私が奉仕すればするほど「いつか」の見返りが大きくなるのだろうと期待している。期待を裏切るのが世の中だけれど。

世の中は私を裏切っても良いけれど、私は周りの人間に対して神様になりたいと思っているので、忠誠を誓われたぶんの見返りは用意したい。ただその気持ちが少し下心じみていないか少し閉口してしまうけれど。

 

 

文章を書くところが唯一の取り柄だと言えるようになってきた気がする。

クソみたいな気持ちを殴って殴って形成し始めたようなものだけど、私にとっては十分武器だし、これを気に入ってくれる人間がいるならば私の少し鬱々したところも晴れると思う。

「ゆいちゃんの文章が好き」と言ってくれる人がいることで、私はだいぶ救われてきた。親にはあまり理解されなかった。それでもいいと嘘をついてきた。結局のところ、根本は親に認められたいのかもしれない。

 

私が好きな文章を親は理解してくれなくて「ああ、京都の作家さんだっけ、ゆいの好きな、森ナントカ」というようにしか言ってくれない。意思疎通を諦めてから2年は経った。

 

 

幸いなことに、文章のおかげで人に認められる。私自身はどうにも良い加減な人間なのだけど、人には良し悪しがわかるらしい。

私の文章は完全に自慰的で自傷的で、あまり人に見せびらかしていいものじゃない。言葉で言えない恨みつらみを文字にして埋葬しているだけ。文字にするのは自分の中で整理をしたいからで、実は全く周りに語りかける努力をしていない。

それなのに、人は「ゆいちゃんの文章好きだなあ」と言ってくれるのだから困ってしまう。褒められるほど考えて書いてない。