私は誰のものでもないし、誰にもわかられたくない

 

先日、小学・中学の同級と久しぶりにSNS上で再会した。

彼女は転校してきたからか皆んなの人気者で、よく笑い、皆んなに優しく、愛されていた。私も彼女のことが好きだったし、彼女を嫌う人なんていないんじゃないかというくらいには邪心がなくて真っ直ぐな女の子だった。派手な容姿じゃないけれど、ギャルっぽい女の子たちともよく会話していたし、初音ミクとかアニメの話も出来る子だった。

その子は私と名前の音が一緒だった。だから転校してきた当初はゆいじゃない呼ばれ方をしていたのだけど、年齢を重ねるごとに私はゆいじゃなくなって、彼女がゆいになっていった。

私の方が賢かったし、学校で褒められるようなことをしていた。けれど、彼女の方が友人を惹きつける力は強かった。私も彼女のことが大好きだったから、名前が少しずつすり替えられていくことが嫌だなんてひとつも思わなかった。

今思うと自分の居場所が少しずつなくなっていくようで不快感があったような気もする。

彼女が男子から告白されて泣いてしまったことがあったのだけど、今思えばその理由は男子がわたしの幼稚園時代仲良くしていた人だったからなような気がした。私はその人が好きだったわけじゃないけど、幼稚園時代男女で仲良いと親からそういう目で見られるわけで。そんな思い出も重複して書き換えられてしまうんだなといった絶望が私を襲っていた。

当初は恋愛をしている人が稀有な世界で、仲良い友達が盗られたことでショックを受けたのだと思った。これを打ち込むちょっと前までは、私が同性も好きになってしまう性質だから起こった悲劇なのだと思った。示された可能性全部間違ったことではないと思うけれど、時間が経って自分の本質みたいなところが見えてくる出来事だったなと思う。

 

違う高校に進学したことで彼女とは疎遠になってしまったのだけど、高校に入っても「ゆい」は沢山存在したし、自分って実際どんなキャラクターなのか、どう立ち振る舞うべき存在なのか、そんなことを延々考えていたように思う。

自分の名前が嫌いだったし、極力名字を使ったあだ名を浸透させた。

何にもなれないというより、何にもなりたくなかったのかもしれない。

慣れないことを沢山したし、誰とも同じ道を歩みたくなかった。共感されるのも嫌だったし、自分が苦戦しているのを悟られたくなかった。人と関わるのは好きだけれど、幻滅されるのが怖かったし、順位づけで下位になるんだったらそもそも関わらない方がいいじゃんとも思い始めた。自分の小さなプライドのせいで相談することが出来なかったし、仮に相談しても他人から答えなんて与えられるわけがないだろうと決めつけていた。

 

私は文章を書くのが好きだけれど、文章だけを見てほしいと思っていて、私のことを覚えてほしいなんてあんまり思っていない。確かにわたしのことを覚えてくれるなら嬉しいけれど、間違った解釈で他人の脳に居続けるのは好ましくないと思う。

私がもし死んだら、私が今まで書き連ねてきた文章の何か1文、この季節になったら、この色の空を見上げたら、この気温になったら、この時間になったら思い出すようなフレーズだけ覚えていてほしい。「なんとなくこの言い回しが浮かんできたけれど、これってなんの本だっけ?」と悩んだまま掘り返せないくらい曖昧なものでいい。他人の日常の瞬間に入り込めるようなささやかな言葉だけ残したい。

 

家族でも、恋人でも、友人でも、自分の全てを話すことは今までなかったと思う。汚いこと、浅ましいこと、笑えないこと、話せる人にしか話していない話が沢山あるから。恋人にさえ全てを話していないのだから、他人が真の意味で私を知るなんて無理だと思う。わからない人ほどわかってる顔して話を聞いてくるから、私は話した風な顔をして誤魔化す。