落胆

精神的に弱っている時は上手く口が動かなくて頭もぼんやりしていてよく言葉を間違えるのだけど、その度に自分の頭の悪さを感じて悲しくなる。

皆んなから同情されることもないから多分そんなに一般的ではなくて、だからこそ弁解する余地もなくて嫌になる。友人関係が面倒になって喋らなくなったくらいからこの症状がよく出るように感じる。

 

今日も上手く話せなくて間違ってばかりで、挙句「ゆいちゃんはバカだなあ」と思われてしまった。彼にとってはそういう些細な抜けが可愛いという褒め言葉だったのかもしれないけれど、わたしは確実に傷ついている。「疲れてるからあまり考えられなくなってるのかも」なんて言い訳したのだけど、当然聞く耳を持ってくれるわけもないし、余計に阿呆に見られた気がする。

心臓を抉られるような気持ちになる。

 

苦しいけれど人間はどう頑張っても意思疎通が難しい。もしかしたら難なく気持ちを共有できる人間もいるのかもしれないけれど、わたしは確実にそうではなくて、常に何処かに孤独を背負っている。

ふと小学校中学校高校で出会ってきた人たち、家族、親戚なんかから感じる違和感や壁を感じて、なんで自由恋愛なのにこんな嫌な気持ちになっているんだろうとウンザリしてしまう。

わたしの地雷を着々と踏み抜かれている。

 

蚊が飛ぶのが鬱陶しいと思うくらいに些細なことだから、直ぐに嫌になることはないのかもしれない。それでも、別れというか自分の死をひしひしと感じる。

無邪気に人と接することの出来た日々が懐かしい。

 

 

人生いつから間違えてしまったんだろうと見返しても、何も思いつかない。幼稚園のころ(つまりは物心ついたころ)から自分が参加する社会を俯瞰していたような記憶があるし、その時感じたことは今にも通じるようなことばかりだった。

お母さん同士が仲良い子以上にわたしがこの子と仲良くなることはないんだとか、派手な人間は多くを占拠してそうでない人間は隅で黙々と何かを積み上げてるとか、あまり良い思い出がない。上手く文字に出来たらと思ったけど、非常に難しいから伝わらないと思う。

 

多分わたしがいま過敏になっているのはホルモンバランスの関係とかやらなきゃいけないことによる重圧とかなのだけど、そんな些細なことで十分参ってしまうから日々を生きるのが厳しい。人と同じように惰性で生きていけない。

ちょっと自分は変わっているという風を装う人間も結局はただの人間だから悲しい。