顔に泥を塗る

 

高校生のわたしはあまり化粧に興味がなかった。

寒いと血色が悪くなるから色付きのリップにしようかなとか、どうせコンタクトなんだしナチュラルなカラコンしたら可愛いかな?とかその程度のことしかやっていなかった気がする。地黒なのは悩んでいたから気休め程度に日焼け止めを塗っていたり、眉毛もたまに剃っていた。(両親とも眉毛がしっかり生えている家系なので態々描かなければならないほど壊滅的な状態ではなかったと思いたい。)

ニキビが酷くてニキビケアの洗顔とかを使ってはいたものの、狂ったように菓子パンやフラペチーノを飲んでいたのであまり意味はなかった。そんな感じなので肌に何かを塗っても無意味な気がしてそんなに気が乗らなかった。

 

凄く不真面目な例だとは思うけれど、化粧に熱を入れ始めたのは浪人時代だった。

私服ということは生徒ではなくなってしまっている証拠であるように感じて、すっぴんでいることが急に恥ずかしいことのように感じられてしまった。人目が気になって仕方がなかった。人権がないのだから見た目だけは繕うようになった。

高校時代バイトしていたお金を使って、皮膚科にも通うようにして、少しずつ自分の嫌な部分を改善するように努力した。

 

今でもすっぴんは結構厳しくて、眉毛とかが上手くいかなかったり、まつげが上手く上がらないと気分が悪くなって外出できなかったりする。本当にそういう病気なんだと思ってもらって構わない。それが一番的確な表現だと思う。

化粧を始めて不良になったとか言われる描写がたまにあるけれど、わたしも時期が時期だったのでそのように言われたりした。

だけどそうしないと自分を肯定できなくて、他人の目が気になって仕方なくなる。「化粧がめんどくさい」と言ってすっぴんでいられる人間は自己肯定感が高いのかなと思ったりする。

 

あまり大きな声では言えないけれど、すっぴんで学校に来る友人に引いたりしたことがある。

よくそんな顔を世間に晒せるな!?と思ってしまった時に自分の認知がおかしいことに気付けた。化粧品は好きだけれど、それ以上に義務だとも思っている自分がいる。男性でも髭伸ばして髪の毛ボサボサでいるのには引いてしまうけれど、女性にはより厳しい目で見てしまう気がした。(容姿が可愛い女の子のすっぴんは多少許せちゃうのがより醜いなあと感じる)

 

整えなきゃ、装飾しなきゃというのは一種呪いで人によって「最低限」は違うのだから、一概に眉毛伸ばしっぱなしは駄目、髪を派手な色に染めるのも駄目なんて言えない。TPOによるものもあるし、個人の感性で判断される部分が大きいと思うから。

整形はしたことがないけれど、綺麗を目指した果てにするものだと思うから「整形してるらしいよ笑」と小馬鹿にする人間は血が通ってないなとも思う。

 

 

島国・日本に生まれたからこそ、「色々な形の美しさ」を許容する心が弱いのかもしれないな、なんて考えている。

 

恋人に言わせると私が自分を魅力的に見せようとしてした化粧も泥を塗る行為と同じらしい。正しいなんてないんじゃないか。