思考の果て、回廊

地下鉄というものが少し苦手。

私にとっての地下鉄は札幌市営地下鉄で、特に札幌〜大通〜円山公園の印象が強い。学校とか、カフェに行ったりとか。

そもそも何故苦手なのかというと、苦手というほど苦手ではないのかも知れないけれど、穴に潜るという行為に少し抵抗感を抱くからかもしれない。蟻というか、土竜というか。呼吸ができなくて地表までもがくみたいに、果てないように感じられる。いろいろな思考も巡る。あの時ああしたことは良くなかったかもしれない。あのことを真面目にやらなくちゃいけないのに。考えることはいつも巡るばかりで、消えたりすることは1つもない。

 

今日はクリスマスで、某会社のキャンペーンプレゼントが届いた。当たるものなのかあと思いつつ、いまいち憂鬱は晴れない。当たり前だった。

卒論発表にも行けなかった。LINEの通知はたまるばかりで、もう「お疲れ様でした」なんてやりとりをしているらしい。怖くてトーク画面を開くことも出来ない。失敗したときに謝ってスッキリ次にいけるタイプの人間だったら良かったのに。

 

ご飯を食べながら「きっとうまくいく」を観ていた。インド映画。わたしはコメディーとか明るいものを見るのが非常に苦痛なので、最初は少し憂鬱な気持ちだった。インド映画特有の、踊って歌って、という雰囲気についていけない。少し頑張って物語を観ていた。(後から気付いたら2時間50分ほどあったらしいので、そりゃ疲れるわと思った。)

インドの大学での話らしくて、バンバン学生が自殺(未遂)していった。インドの実際の状況をよく知らないけれど、結構みんな疲弊してしまうのかなあと感じた。教授は冷徹で、個々の生徒に圧をかける。結局楽しい話だったのだけど、今の私にとっては少し心にしこりが残るものだった。どうしようもなく切羽詰まった状況になって、校舎から飛び降りる彼を見て「そういう選択もアリなのか」とぼんやり思った。

死は救済ではない。死んだ後の世界のことはよく知らないけれど、死んでも尚、後悔はあるのだろうと思う。死ななかったとしても、周りが「こいつは本当にやばいんだ」って察してくれるなら飛び込む価値はある。悩みが消えるわけでもないけれど、少しだけあらゆることを放棄する権利を獲れるような気がする。

 

LINEの通知をオフにして、あらゆる連絡に蓋をして、行き着く先に何があるって言うのだろうか。わたしはこのまま死んでしまいたい、というか消えてしまいたい。

映画でしきりに言われていた「all is well」という言葉は、困難から脱却するための言葉ではなく、困難を無視する勇気を持つための言葉らしい。それが出来たら、わたしも救われるのだろうか。